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食まわりの読書感想文3
食べ物の記憶が
他のひとのものであったとしても
なぜ
まるで目の前のことのように感じるのか
性別も年代もちがうのに
なぜか
憑依したような、そばにいるような、あじわったような
わたしまで
彼や彼女の気分になり、腹具合になる
なんとも
食べ物を介して感じることは
なまなましいものでありますが
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映画化もされました、
「土を喰ふ日々」。
美味しんぼを読んでいて
読みたくなり
ずいぶんまえに手にいれたものですが
ことあるごとに
思い出すのは
和尚さんの
「あるものすべてをいかす」という姿勢。
これは中医学でみたときに
完全に「ただしいたべかた」である、ということが
いまはよくわかります。
その土地で今とれる旬のものを
できる限り丸ごといただくこと
それは
我々の身体が
宇宙のちりと同じであるのと同じで
その
間近に接する大地と全く同じものであるからこそ
食べ物のちからでもって
大地の力をいただくことができる
その理にかなった作法が
できるから、なのですね
例え毎日、肉や魚を食べていなくても
毎日、米を食べなくても
人は健康で
そして明瞭でいられるものなのです
それが
最も簡単で
最も
難しいこと…。