興奮している状態の子どもの話は聞かない
こんにちは!少しずつ秋らしい季節がやってきました。朝起きて、ベランダに出ると白い息が出る日もあります…あぁ、暗黒の季節がやってくる。苦笑
そんなマインドではこの国でハッピーに生きていけない!とわかっていながらも、長く薄暗い冬を楽しみにすることはまだできません。
先生として、新学期が始まって約2週間が経ちました
今年度は4歳、5歳、6歳(小1)のクラスで英語の授業をすることになってから約2週間が経ちました。昨年度の後半は全学年を教えていたこともあって、子どもたちとは顔馴染みです。学校で出会うと声をかけてくれる児童生徒の存在はあたたかい気持ちにさせてくれます。
オランダの子どもたちはとにかくうるさいので(笑)、けじめをつけさせることが出来るかどうかが授業をスムーズに運ぶことができるかというポイントになります。もちろん威厳と高圧的な態度で彼らの注意を一気にかっさらっていくことは簡単ですが、必要以上にそうしないのがこの国の教育…だとしたら、"人間"という対等な立場でありながらも、"教師"と"生徒"という明らかな立場の違いを過度に利用せず、子どもたちの視線と意識をこちらに向けてもらうにはどうしたら良いのか…ということに悩んだ時期もありました。
言葉が通じれば楽なんですが、何せ英語の指示は彼らにとってチンプンカンプンであることもしばしば。笑 特に、4歳や5歳なんていうのはまだ幼稚園の年中と年長。私にとっては指導したことのない、いわば未確認生物みたいなもんです。苦笑
あんなことやこんなことがありながら、私も一人の教育者として試行錯誤しながら今日までやってきました。
揉めながら成長していく4歳〜5歳の子どもたち
私が指導している年齢の生徒(特に4歳と5歳)には、まだまだ「赤ちゃん」と「子ども」の間にいるような子どももたくさんいます。私の授業に関わらず、ここでもあそこでも揉め事だらけ。笑
「貸してー!!!!!(大声)」
「やめて、話して!!!!」
「⚪︎⚪︎がぶつかってきたあぁあぁ、痛いー!」
「△△がペンを貸してくれない」
などなど、例を挙げればきりがないほどの揉め事が起きています。男の子同士が叩き合ったり、女の子同士が髪を引っ張りあったりなんてことも、日常茶飯ではないにせよ起きたりします。
ケースバイケースですが、暴力が起きている時は結構強めに「やめなさい」と言います。そういう時は当事者たちも興奮していたり、すでに泣いていたりします。あまり頻発することは望みませんが、これぐらいの年齢の子どもたちが社会性を身につける過程において人と衝突することは避けられませんし、必要以上に避ける必要はないと先生たちも言います。
大切なのは、揉めごとの後にどうやって解決する力を身につけるかなので、逆に揉めごとがなければ「解決する力」は身につかないとも言えます。
感情的になる子どもたちにどう接するか?
ただ、興奮状態の子どもの扱いには注意が必要です。学校において…というか、社会、地域、学校、家族との関わりの中で、感情的になった状態で誰かと平和的な解決には向かえません。もし、向かえたとしたら、それは相手が完全に興奮状態の人間に「合わせてあげている」のです。それはつまり「折れてくれている」ということなので、状況はwin-winではありません。
私が見てきたほぼ100%の先生たちがそうするように、私は学校でも、私生活でも興奮状態の子どもの話は聞きません。
興奮状態というのは、感情が高ぶっている状態なので、大声を出している場合や、怒っている場合、泣いていてまともに話せない場合、話し相手の目を見て話せない状況などを指します。
あまりにも泣いている子どもには「話せる状況になるまであそこの椅子に座っていてください」と言います。大声で要求している子どもには「落ち着いて話せる状況になってから戻ってきてください」と言います。怒っている子どもには「怒りが収まらないと大切な話ができません」と言います。
大人で叫ぶような人と話はまともにできません。
大人で怒りを露わにしている人と平和的解決には向かえません。
大人で泣き叫ぶ人と冷静に解決策を探れるとは思いません。
「感情をコントロールする」ということは練習だと先生たちは言います。そしてその練習は大人がその機会を与えているかどうかにかかってきます。
ただ、ここでのポイントは「感情的になることが悪いことではない」ということです。感情を出すことはある一定時間必要な場合もあるけれど、その状態の自分を俯瞰的に捉えて、相手(親、兄弟、友達、先生など)がいる状況でそれを使うことは許されないということを練習を通して学ぶことが重要だということです。
「話を聞いてもらえない」という経験を積み重ねた娘
私がこれについて最初に知ったのは娘を育てていた時に「タイムアウト」という子育ての方法を知った時でした。タイムアウトがどこ発祥かはわかりませんが、簡単に言うと「落ち着いてから話すこと」を子どもに練習させる子育ての方法です。
私が初めて知った時は、叫んで要求をしたり泣いている間は子どもの話を聞かないこと。また、その年齢の数の分数(例えば2歳なら2分など)だけ壁の方を向いて落ち着いてから話をする。というものでした。
もちろん、2歳の子どもは2分も壁の方を向いて素直に待っている訳がありません。笑 ただ、このやり方のポイントは「時間」なのではなく、「興奮状態だと、親(や他人)は話をしてくれないんだ」という学びを与えることです。こちらにも根気がいるし、何度も失敗するし、すっごく大変なのですが、これは子ども自身が、自分(保護者)以外の場所で社会性を身につけて生きていくために必要なスキルだと、特に高校生を指導していた当時の私は思いました。
…ということで、はっきりとした言葉を喋らない頃から、娘が必要以上に何か自分の要求を通そうと大声を出した時は、娘が理解しているかしていないかに関わらず、冷静に目を見て「そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるよ」と伝えるようにしてきました。
ある程度、言葉を発するようになった娘が感情的になっている時は、叱る訳でもなく、真っすぐに目をみて「落ち着いたら話そうね」と言うようにしてきました。落ち着くまで待つのは時間がかかりますが、これはネントレと一緒です。こちら(保護者側)の根気が試されているだけなのです。
結果、娘は「感情的になったら損だ」と感じるようになっていったように見えます。自分の要求を通そうにも、感情的になっている方が時間がかかるし、言うことを聞いてもらえないからです。すると、むしろ話す"内容"にフォーカスするようになるので、相手への伝え方などに工夫が見え始めます。
「伝え方」や「話し方」だけで悪く捉えられてしまうという損
とはいえ、オランダの子どもたちの中にもすぐに沸騰する子どもたちはいます。彼らはまだ成長の過程にいて、まさにそれを練習しているのです。
でも、大声で叫んだり、威圧感たっぷりで話をしたり、泣きながら話をしながら伝えるというその状況のあり方だけで、自分が意図しない方向でその状況が判断されてしまうことはおおいにあると思います。
「自分の感情を知っていて、コントロールできて、かつその感情を適切な言葉に乗せて、適切な姿勢を持って相手に伝えることはとても大切です」
ある小学校の先生はそう言いました。むしろ、社会全体でそれが出来る市民を育てなければ、社会における「対話」は難しいと言います。
様々な学校現場で先生を見ていると、「まず落ち着きなさい」と言う先生たちがたくさんいます。彼らは一貫して叫んだり、泣いたりしている興奮状態の児童生徒の話を聞きません。
学校の先生たちは、その練習が何を育てるかわかっていてそのように声をかけていて、時には学校の外でも保護者からそのように接されている子どもたちを見かけます。一方で、そうではなくどんな興奮状態の子どもであったとしてもそれを聞き入れている保護者たちもいます。
この方法が「正しい」とは言いません。ただ、子どもはいずれ大人になります。そして人生には感情的になってしまうような事象はたくさん起こる訳ですが、誰一人として「ひとり」で生きていくことはできません。だとしたら、誰かと生きていくためにどんなセルフコントロールが必要かということは知っておいて問題はないと思います。
感情的になっている子どもたちに冷静さを取り戻すよう接する教師たちを見る時、私はいつもお店や公共の場で威圧的な態度でクレームを叫ぶ人たちのことを想像します。自分の状態を俯瞰して見れる力があるかどうかは、やっぱり練習をしてきたかどうかなのではないか。そんな風に思うのです。