見出し画像

イギリスで生活するデザイナーに聞いてみた。なぜファッションの道に進んだのか。

2045年までに多くの職業がAI(人口知能)に奪われていくのではないかと予測されている中、生き残るであろうと考えられている職種がある。その一つが創造性が求められる「デザイナー・クリエイター系」だ。

「デザイナー・クリエイター系」の仕事へ進むにはどういう道があるのか。インタビューシリーズ「※シリーズ名は考え中」では、今現在、夢に向かって前進している現役クリエイターたちにリアルな声を聞き、なぜその道へ進んだのか人生を振り返りながらゆる〜く語ってもらう。

(急に初めてみたので、私自身まだまだ手探りだらけだけれど、微修正しながらもとりあえず続けてみたいと思う。)

初回は、2012年に文化女子大学(現:文化学園大学)を卒業し、現在はイギリスで会社員として働きながら生活を送る、筆者の友人で、ファッションデザイナーの渡辺明日香氏に話を聞いた。

■いつからファッションの道に進みたいと思ったの?

大学は文化女子大学(現:文化学園大学)に入ったけど、特にファッションデザイナーになりたくて入ったわけじゃないんだよね。

■え、そうだったの?

そう、実は最初はデザインをやりたかったんだよね。高校2年生の終わりぐらいに雑誌を買い始めて、その時からなんとなくデザインに興味を持ち始めたの。そしたら、同じぐらいのときに、医療関係の仕事をしている母親と話をしている中で、ユニバーサルデザインの話を聞いて、「いいな、やりたいな」って思い始めたのが始まりかな。

■ユニバーサルデザインってなに?初めて聞いたかも。

ユニバーサルデザインって障害をもつ人でも誰でも不自由なく生活できるようにつくられるデザインのこと。不自由さを感じている人のことを考えられたり、意図して平等にしようとするデザインに惹かれたんだよね。こんなに優しいデザインがあるんだって思った。

■そこからなぜファッションを専攻することにしたの?

美大とか色々調べて、調べた中にユニバーサルデザインのコースもあったんだけど、そこは車に特化したコースで、当時やりたいと思ってた内容とちょっと違ってたんだよね。しかも、美大に行くための準備とか特にしてなかったし、デッサン書くための予備校も行ってなかったから、進路決めるタイミングではもう難しいなーとは感じてた。そこで、担任の先生から文化女子大学ともう一つくらいファッション系の大学を提案されて。

あと、中学・高校って部活に打ち込んでたこともあって、髪染めたり、巻いたりとかそういうことができなかったからファッションへの反動もあったのかも。自由な世界っていう憧れもあったし。

■で、文化女子大学に行くことにしたんだね?

そう!オープンキャンパスに行ったときに体験でデザイン画の授業を受けたんだけど、もともと絵を書くのが好きだったのもあって「楽しいじゃん」って思ったんだよね。でも、それよりも決め手になったのは、AO入試かな。勉強嫌いだったからAO入試で入れるっていうのは魅力だった(笑) 受験なんて考えられなかったし。

あと、ファッションでもプロダクトデザインを学べるかなってふわっと思ってた。だから入学当初もファッションデザイナーになりたいとは思ってなかったんだよね。学ぶことが違くても興味があればどこかで交わるのかなと漠然と思ってた。

■なるほどね。そこから大学生活はどうだったの?

楽しかったよ!ようやく自分が好きだったものと感性が合う人たちに出会えたし。「デザイナーのこの部分が好きなんだよね」とか雑誌の話とかそういう話題が合う子たちとたくさん出会えたのが楽しかったね。あと、1年の時には、これまでであればあまり関わりがなかったんじゃないかと思うような幅広い系統の子たちとも仲良くなったんだけど、もしそういう経験がなかったらいまだに偏見があったんじゃないかなと思う。その環境に入ったおかげで、色んなことに対して視野が広がったんじゃないかな。

■授業はどうだった?急に授業でデザインを書いたりするの?

1年のときは基礎中の基礎を学ぶってかんじだね。あと、一般教養の授業もあった。人物のデザイン画に関しては、フォーマットがあるから、まずはそれを基に書くってかんじ。アパレル業界に好かれる描き方があるからみんな同じような人物を描いてたかな。
服のデザインは、教わるっていうより、自分の発想力次第になるから、最初はとりあえず図書室にある本と雑誌を読みまくって学んでた。例えば、アレキサンダーマックイーンのショーがかっこいいと思ったら、コンセプトにある昆虫の図鑑を読んでみて、そこからアイディアを学ぶとか。他にも建築とかバレリーナの衣装とか幅広い種類の本が置いてあったから手当たり次第、興味のある本を読んで、ヒントを得てたね。
それでデザイン画の課題は提出したりして、常に課題・レポートの提出には追われてた。バイトもやりたかったから毎日徹夜みたいなもんだったね(笑)

正直、1年の授業は基礎中の基礎で楽しくなかったから、本当に楽しくなり始めたのは、自分のやりたいことにフォーカスできるようになった3年のときかな。

■3年で環境が変わったの?

コースを選ぶ時期になって、私はクリエイティブデザインコースに進んだんだよね。補正下着とかスポーツウェアを製作する機能デザインコースとかインダストリアルデザインを作るコースとか色々あったんだけど、私は自由度が高そうなクリエイティブコースを選んだ。そのときの判断は間違ってなかったね(笑)

■クリエイティブコースではなにをしたの?

自分が作りたい服をデザインして作ってをただひたすらやってた。あと、学校が推奨していたのもあって頻繁にコンテストに出してたかな。

画像2

■コンテストは出したほうがいいものなの?

どっちでもいいかな。好きならやればいいと思うし。でも、何もしないよりは楽しいんじゃないかなと思う。かなり大変だけどね。

■なるほどね。3年生にもなると自分の作る服のテーマはぶれずに確立しているものなの?それとも毎回考えるの?

んー、3年生でも最初のほうは考えてたかな。でも、あるコンテストでプリーツを使ってから卒論までずっと在学中はプリーツを使うようになったね。

プリーツって基本的に直線で山折と谷折りから成ってるんだけど、そのコンテストのデザイン画では曲線で描いちゃって(笑)描く分には簡単なんだけど、実際に再現するには折り方が複雑で折り紙の本とか見て調べたり、かなり四苦八苦した。そして、やっと完成したときに、最初、平面だったプリーツが立体的になることに感動して惹かれたのがきっかけだったかな。

画像1

■コンテストでの成績は?

賞としてと取ったのは、3つぐらいかな。一つは大学の教授陣に気に入ってもらってて、今も文化祭のときとかに飾ってもらってる。あと、どうなるか本当にわかんないんだけど、もしかしたらその作品が学校の教科書に載るかも。今どう進んでるのかは全くわかんないけど(笑)もし自分の作品が母校の教科書に載ったらうれしいよね。

■卒業後は?

大学から就職のオファーはあったけど、海外の大学でファッションをもっと学びたかったから就職する気はなくて、すぐにイギリスに行ったね。イギリスでは、大学入学で求められる英語のレベルまでいけなかったから結局大学には行かなかったけど、ロンドンの芸大の人のコレクションを手伝ったりして勉強してた。それから帰国して日本で普通に働いて、またイギリス行って帰国して繰り返して今が3回目のイギリス生活になる。

他の子たちは、販売員とかパタンナーになったり、デザイナーとして企業に入ったり、色々だったかな。中にはファッションとは関係ないところに就職した人もいるよ。

画像3

■3回目のイギリス生活ではなにか目標はあるの?

んー、できれば今年の最後くらいに小さい展示をやりたいなと思ってたけど、コロナ騒動もあるから帰る直前くらいに展示を開きたいと思ってる。あとは、旅行していろんなものを吸収したいね(笑)

■将来的にはどんなファッションデザイナーになりたいと思ってるの?

ファッションデザイナーていう言葉がいまだにしっくりこないな(笑)

「これ着れないけど絶対ほしい」とか「所有したい」って思ってもらえる服を作りたいと思ってる。だから、大量生産とかは考えてなくて、1着1着に付加価値のある服を、求めてくれる人に届けたい。それが、ファッションブランドとかビジネスとして成り立つのかはわからないし、二足のわらじを履く必要があるかもしれないけど、それでもいいと思ってる。

あと、もし機会があるならユニバーサルデザインに携わりたいとも思ってるね。

■最後になるけど、ファッションデザイナーの道を考えてる人へのアドバイスはなにかある?

学校にいくという選択は学びたいことが明確になったときの手段で良いかなと思うからまずは何か始めてみてほしい。やり始めてから気づくことがあると思うし。もし学校っていう選択肢しかないのであれば、国内に限らず、海外の学校も候補にいれて視野を広げてみてほしいかな。


No.01:ファッションデザイナー
渡辺 明日香(Watanabe Asuka)
1989年生まれ
2012年、文化女子大学(現:文化学園大学)を卒業し、
現在はイギリスで生活を送る。


いいなと思ったら応援しよう!