見出し画像

学校は人間を育てるところか?(その七)~ 繋がることの大切さ

このシリーズ、(四)~(六)までは、アメリカの教育に焦点を当ててきましたが、今回は、私自身の体験から、もう少し日本の教育を考察してみたいと思います。

 私が通っていた当時の小中高の教育では、学校で習う学問に「興味」や、「好奇心」を、あまり持ったことがないような気がします。小学校では授業を聞かずに、すぐ側にあった本棚の本を取り出して読んでいましたし、中学は、テスト前に習ったことを覚え、テストが終わったら頭から出して、次のテストの前にまた頭に入れるというサイクルを繰り返していました。何の教科が好き?と聞かれても、「うーん、国語かな?いや数学かな?いやいや英語かな?」とか、自分が好きなものがわからない。わかったとしても、それは得意だから好きだというだけでした。高校でも同じことです。授業で出てきたコンセプトやアイデアについて自分が思ったことを友達と語り合うこともなく、ただただ、授業が終わって部活動、そして塾と、忙しい毎日をこなしていくだけでした。

レベルの高い大学に入って良い仕事を手にいれるように教え込まれた「受験」に関連することは大事でしたが、自分にとって、数学や化学や地学などで学んでいることが何の意味があるのかわからず、説明されても、日々の生活とどう関係しているのかピンとこない。その上、受験や部活のプレッシャーがあって、深く考えたり感じたりする余裕もなく、学んでいることと自分の生活や社会とがどう繋がっていなるのかなんて、意識していませんでした。先生達はほぼ皆エリートで、生徒がわからないことがわからない。先生たちも余裕がないので、説明するだけで終わってしまうのが常でした。でもそんな中で、今でも記憶に鮮明に残っている、高校の生物の先生がいます。
 
その日、先生はいつもの生物の授業をやめて、自分がネパールに行った時の話をし始めました。写真などもたくさん見せてくださり、いつもはつまらなそうに授業をしている先生の全く違う一面が見えた貴重な時間でした。すごいな!ネパールなんて国に行くなんて!皆何だかわからないながらも、「スゴい!」と思って先生の話を聞いていました。「生物」という学問をしているこの先生が、ネパールに行って、そこの生き物を研究してきた。山の中を歩いて、ネパールの人たちにもたくさん会って、そこの食べ物を食べ、動物と交わってきた。そんな先生という一人の人間を通して、その時、「生物」っていう学問が現実と繋がったんです。そして、このネパールに行った先生が教えてくれる学問なら、もしかしたら面白いのかもしれないと思えました。

先生という人間と、生物という学問と、自分が繋がったのです。

今思えば、「生物」って生き物のことで、自分と繋がっているのは当たり前ですが、その時は全く自分にとっての意味も価値もわかりませんでした。歴史も何だか遠い大昔の人のやったことで、どう自分と関わっているのかピンと来ない。そんなことどうでも良い、年号を覚えやすくするにはどうしたら良いだろうと考えているのです。それもそのはず。「織田信長ってどう思う?」とか「自分が織田信長だったらどうする?」「どうしてそういう選択をする?」「なぜ彼はそうしなかったんだろう?」とか、自分はどう思うのかとは、聞かれませんよね。生きた学問ではなく、前からずっとある、これが正しいと言われて来ている知識を伝えているだけなのです。地理と歴史は密接に関わっていますが、バラバラに教えられていますしね。

断片的な教育では、全体像が見えて来ません。化学はコレまた、自分たちの体が電気を常に発していることとか、どうやってエネルギーが作り出されるとか、生活に身近な学問なのに、そういう風には習いません。英語?アメリカに30年住んでみて、日常生活では、中学までの英語で十分と確信しました。文法とか作文とかリーディングとか、いくらやっても使えません。全くプラクティカルじゃないですね。体で学びましょうよ、体で!数学も、とてもフィジカルですよね。幾何とか微分積分とかわからなかったら、建物は設計できませんし、政治、経済も、まず「お金ってどういうことか」という歴史や仕組みを教えて、さらに、自分達の生活に直接どう関わって来るのかを教える。バイトを禁止したりせずに、どんどん学生をバイトに出して、お金の動きやマーケティングを研究させるとか、それと政治がどう関わっているか、リサーチしてこいとか、様々な業界で活躍している人をインタビュー
してくるとか、色々あると思うんですよね。選挙事務所のお手伝いなんかも良いですね。

来たる新しい時代には、360度でものを見る、フィジカリティ(身体性)に満ちた、疑問をとことん投げかける教育のアプローチが求められるのではないかと思います。その第一歩は、何かを習ったら、「必ず自分に戻す」ことでしょう。自分の軸を探りながら、「自分を通して」全てを学ぶことです。


いいなと思ったら応援しよう!