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フィギュア・グラウンド(図と地)

皆さんは、下の絵をご存知でしょうか?
 

錯視の例でよく出て来る絵ですが、黒い部分に注目すると壺があるように見え、白い部分に注目すると顔が2つあるように見えますね。 

この黒と白の面積の関係は、「図と地」と呼ばれます。「図」とは絵や写真・風景を眺めたときに形として浮かび上がって見える部分や領域のことを指し、「地」とは図の背後に広がる部分のことを指します。黒い面積を「図」と見た時、白い面積「地」は抑制されて見えなくなり、白い面積を「図」と見ると、黒い面積「地」は抑制されて見えません。こうしてどこに意識を持っていくかで、何が見えるのか見えないのかが変わって来るんですね。


錯視で知られるエッシャーの絵。魚か鳥か?

 私は視覚と目の使い方の研究をしていますが、最近近視を回復する練習をしている中、この現象を思わせる、あるエクササイズに出会いました。

下のような目のチャートを使って練習する時、普通の人は、文字を読もう読もうとしてしまいますね。もちろん文字が読めるようになるのが目的なのですが、読もうとするのは、逆効果だということがわかってきました。


文字を読むことに集中していては、近視は改善せず、実は「文字を読もうとしないこと」に集中するのが必須なのです。それはなぜか?「文字を読もうとしない」でアイチャートに向かうと何が起こるのか?

まず前出の「壺の絵」を思い出してください。黒に意識を持って行くと、黒が浮き上がってきまし たよね。アイチャートを見る時も、同じことが起こります。私たちは「 文字」がメインだと思っているので、黒いところばかりを選択して、必死で集中するのです。文字に集中していると、文字が白地を背景としてそこに存在することなど全く忘れてしまう。「読めるか、読めないか」だけが大事になって来る。文字を読もうとしても視力は改善しませんので、「あーやっぱり全然見えないわ」とがっかりすることになる。集中する場所が間違っていました。

 何もなさそうな白い背景に集中しなければいけないんです。「なんとなく」眺めるんです。そして、白い背景に文字が浮いているという全体を意識の中へ。この事に気づいた時、異変が起こりました。 

文字の黒い色が濃くなって、アイチャートの紙から文字の黒いインクが滲み出てきたのです。滲み出てきたと言っても、紙の上にではなく、私の体の中に入っていきました。そしてさらに今度は、白い部分がエンボスのように、盛り上がってきて、一枚のペラペラの紙の上に書かれた退屈な文字が、突如として生きた存在感を持って、私に迫ってきたのでした。 思わず叫んでしまったぐらい、意識変換が起こっていました。この時、「読む」という行為はフィジカル(身体的)な行為なのだと思い出しました。

この白と黒の関係は、ベイツメソッドのグローリア・ジン先生によると、「目は白を光の情報と捉え、白に反応している。黒は、情報の欠如。白地に黒の文字を読む時、私たちは、光の情情が欠如している黒い文字を感知している。」と説明されました。

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