ヘルマン・ヘッセ「デーミアン」の感想と、今年最後のご挨拶
今年最後の更新(ほんっとにぎりぎりになったね…)は、読書感想文です。しばらく前から「今年の締めはデーミアンにしよう」と決めてました。
名作古典、ヘルマン・ヘッセ「デーミアン」です。
今回感想を書くのは、光文社、酒寄進一訳「デーミアン」です。デミアンじゃなくて、伸ばす版です。
この訳、読みやすくてすごく嬉しかった。私はずーっと前に、別の訳を読もうとして途中で挫折したんですよね。
物語は、十歳のエーミール・シンクレアが悪い奴に脅されちゃうところからはじまる。(しかし、あんなの「うっそだよー、クローマーったら信じちゃったのー?ヤダー」で済まないのだろうか、まあ済まないか…)追い詰められている彼に、不思議な転校生の少年マックス・デーミアンが近づく。
そして、エーミールはデーミアンに惹かれていく。
どれぐらい惹かれていくかというと、夢の中で自分に乱暴する相手が不良のクローマーじゃなくてデーミアンなら、まあ…、と、自分の心が受け入れてしまう、というくらい。
と、書いてみましたがこのお話は「少年愛」がメインテーマというわけではなく、「本当の自分と繋がって生きる」物語だと思います。
とは言うものの、エーミールがデーミアンの石鹸の香りにいい気持ちになるシーンがあったりしますけどね。ただ、有名な、ラストのあの部分は、「物語の締めとしてこうなるよね」「デーミアンならこうするよね」という納得感があります。
「本当の自分と繋がって生きる」、なんだか幸せでうっとりするような、自分が解放されるような響きがありますが、このお話はそんな「優しい世界」の話ではなく、それはとても孤独と苦痛の伴う厳しい道であるということが書かれています。でも、そこに「彼」はいるのだと。
ずーっと前の、別の訳を読んだときに、挫折しないで最後まで読むことができていたら、「私も卵を破って新しい本当の世界で生きるんだ」とかなんとか、熱く思ったかもしれない。でも現在のわたしは、エーミールにとって"終わってしまった"ピストーリウスの台詞に「ああ、なんか、わかる」と思ってしまいます。
"わたしはあわれで、ひ弱な犬だ。温もりと餌を必要としている"(第6章ヤコブの戦い、201ページより)
現実のいま。いまはコロナ禍で、その前とは世界が大きく変わりました。「砕け散った」のかもしれない。
いまの状況下、「デーミアン」を読むと、なかなか…結論の出ない気持ちになりますね。
しかしさまざまな示唆に富むこの物語、この、「いま」に読んでよかったなあと思います。私にとって今年の「いちばん」でした。
ちなみに、訳者の解説とあとがきが面白いです。
この物語とユング心理学との繋がりも書いてあります。
あと、”エーミールとデーミアンの会話をBLっぽく変えてみると”というようなことも書いてあって、それは、なる…ほど…という感じで…いやでも私個人としては、あとがきのそれよりも、今回の本文の訳のほうが…より、それっぽいというか…。しかし、まさか名作古典のあとがきでBLという単語が出てくるとは…。
ということで、感想ここまでです。
さて。
今年、このnoteで物語の創作をはじめました。書くことで見つけられるものが、たくさんありました。
来年はもっと自分の世界を広げて、いろいろな物語を書いていきたいと思います。
文章以外のこともやっていきたいと思っています。
毎週カバー絵を描いていましたが、見るとわかると思いますが私は絵が得意な方でないです。色を塗るとちょっと誤魔化せるかなあなんていう邪悪な気持ちもあるのですが、まあ誤魔化せてないよね。それでも一週間に一個描いていると、だんだん上達はしてくるもので、前よりは形をとるのが上手くなっていってる、気が、する…。
文にしろ、絵にしろ、やはりコツコツ続けていくのが良いなあと思います。
スキしてくださった方、コメントしてくださった方、フォローしてくださった方、そしてサポートしてくださった方もいらっしゃいます。嬉しかったです。本当にありがとうございました。
私も皆さんの作品を見て、読んで、楽しんで、そしてとても勉強になりました。
それでは、お身体に気をつけて、良いお年をお迎えください。