心、ここにあらず
ちょうど発売中(2024年6月15日現在)の雑誌『dancyu』7月号で、ひとりでも居心地のいいお店をテーマにした特集が組まれ、光栄にも?鼎談ページで「ひとり食べ」の達人役を仰せつかっている。
私の写真に「だいたいいつも、ひとりです!」なんて吹き出しがついていて、たしかにそうは言ったけれども、そんな高らかに宣言するほどのこと? と、ちょっと笑った。
でも飲食店を取材する仕事でもない多くの人にとって、ひとりの外食とは、それほどのことなのかもしれない。なんか寂しい人みたいだとか、心細いとか、尻込みしてしまうとか。
鼎談の中で、「手持ち無沙汰の解消法は?」という質問があった。ひとりでは手持ち無沙汰になる、という前提で語られていることがすでに新鮮だ。編集者によると、スマートフォンをいじる人が多いという。
なるほど、スマートフォンはひとりでいても、ひとりにならずに済むアイテムだ。
SNSで誰かとつながれる。声を出さずに会話もできる。買い物も仕事も可能だし、カレーを食べながら可愛い動物に癒やされたって、誰にも迷惑をかけたりしない。
それもまたひとり食べの醍醐味なんだろうな、と思う。
一方でスマートフォンは、ここに居ながら、ここではないどこかへ心を飛ばすアイテムでもある。
通信で会話する相手の隣へ、代官山のアパレルショップへ、オーストラリアの大自然へ。
そして心の抜けた身体が、現実の飲食店に残るのである。
もしひとりで訪れた店がオープンキッチンで、座っているのがカウンターなら、フライパンの上でじゅうっと音を立てて焼かれる肉や、料理人が見事な薄さ速さでスライスするマッシュルームなんかが見られるだろう。
いくつもの鍋を同時に調理する千手観音的な身体能力、無駄のない動き、狂わないリズム。客席の賑わいがピークに達した時間帯の、厨房に走る緊張感。
そんな光景は、映画のようだ。
いや、料理人同士の声掛けやお客の会話、包丁や鍋の音、できたての香り、何より店が温まる空気を感じられる分、映画よりエンターテインかもしれない。
リアルな世界は、ノンストップで繰り広げられている。
ここではないどこかへ行くのに慣れてしまって、今ここで起きているできごとに気づかないとしたら、それは少々もったいない。
先日、はじめてのお店にふらっとひとりで立ち寄った。カウンター席はひとり客で一杯だったので、テーブル席に通された。
ガヤガヤの中のひとりもまた味わい深いもの。
ビールを飲みながら、ゆっくり周りを見回した。するとお客も店員も、全員が俯いている。
ホラーかと思った。
手元でスマートフォンを見ていたのだ。二人組も会話なし、店員とお客もまた然りで、有線の音楽だけが虚しく響いていた。
やっぱりホラーだ。
今の飲食店は、予約サイトやホームページ、お店と個人のSNS、メールにショートメールと四方八方から予約が入るので、営業中にスマートフォンを扱うのはもはや業務の一環である。
それはわかっているけれど。
人と人の目が合わない、人の声が響かない飲食店は、なんだか、火の消えた厨房みたいだ。
(秋田魁新報 6月15日掲載)