ロイ・フラーとロルフ・ド・マレ
このポスターはバレエ・スエドワを解散した後のロルフ・ド・マレがシャンゼリゼ劇場をミュージックホールとして公演のディレクションを行っていた時のものです。
ポスターに二人の名前が確認できます。
1926年のものですので、第一次世界大戦後あまり舞台にはあまり上がらくなっていた、ロイ・フラー晩年の出演でした。
マレがロイ・フラー公演のディレクションをしていたと知る人も少ないでしょう。マレの考えるダンス、という点からも面白いキャスティングです。
ロイ・フラーは手に持った棒に布をかけ、全身で布の描くドレープとそれに当てる光で "光のダンス” を創設したダンサー。(1862~1928)
まだ今のようなプロジェクションマッピングもなく、細かな照明の調光も簡単にはできなかった時代に光と身体を融合させて大変な人気を博しました。
ロートレック、モーリス・ドニ、ロダンといった人達が彼女を描きあるいは彫像として残しています。
米国出身でパリで活躍した点は裸足で即興でその時の気分を踊ったダンカンと共に若い国、米国からのフレッシュな表現者として受け入れられた側面があります。
1927年のその名も『シャドウ・バレエ』というそれまでのロイ・フラーとは真逆と言ってもいいようなタイトルでロンドンで踊った作品が最期の舞台となりました。
2016年に『ザ・ダンサー』が公開されています。
ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。
ソーコがロイ・フラーを、イサドラ・ダンカンをリリー・ローズ・デップが演じたことも話題になりました。
映画には描かれていませんが、1902年にはブダペスト、ウィーン公演のスポンサーをつとめ、ダンカンが世にでる手助けをしたことはもう少し記憶されてもいいように思います。
ダンカンは彼女ほど華奢ではありませんでしたし、写真から見る雰囲気は違いますが、社交界の渡り方はこうであったかもしれないなぁ、案外イメージはこちらかも、と思って見ました。
ロイ・フラーは1900年の万国博覧会の際には「ロイ・フラー劇場」を開場させて、出演する一方でプロデューサー的な活躍もしています。
劇場の姿はこちらの写真が分かりやすいです。
いかにもアールヌヴォーの時代らしい劇場です。
この劇場で上演し、一躍時の人となった貞奴と川上音二郎は後の日本の舞台芸術でも大きな活躍をする人達です。
長くなるので、貞奴と音二郎のお話はまた。
ロダンは動く身体には極めて強い関心をもっていたことが、ニジンスキーをモデルにしたこと、そして実現はしませんでしたが貞奴にもモデルを依頼しています。
代わりに一座の花子をモデルに推し、その姿は今もロダン美術館で見ることができます。
これは1916年のロダンの作品。
2019年にロダン美術館に行った時に撮っていました。
今日は話があちこち行きましたが、豊かなフランスのあの時代の芸術シーンが少し見えるかしら、と思ったり。
(このポスターの写真はシャンゼリゼ劇場100周年に際して発売された100点のポスターをまとめた本から引用しています。こんな公演もしていたんだ!と思うようなポスターがあれこれあるので、また時々ご紹介してみようかな、と思っています。)