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君が名前を呼んだあの日

 梅雨入りしたのに、今日も雨は降らなかった。雨傘兼用の日傘を差して、買い物に、実家にと走り回った。とうとう母のショートステイが決まったのだ。肌着にタオルに、細々したものを揃えないといけない。相変わらず母は家に居たい、いや身体がきついからお世話になりたい、とコロコロ考えが変わる。梅雨なのにどっちつかずの天気のようだ。

 低気圧に引きずられる様な共感の仕方は、自分の心身を壊してしまう。母の悲しみに引きずられ、自分が楽しむ事に罪悪感を持ってしまいそうになる。そんな時心の中で唱えるのが、信長が舞った敦盛の歌《人間50年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を亨け、滅せぬもののあるべきか》。人は誰でも死ぬ、そう考えると、一日一日を大切に生きないともったいないと思うんだ。

 残念ながら母は、私が幼い頃から愚痴や文句が多い人だった。なんてもったいない時間を過ごして来たのか、と思う。私が好きな本【アンネの日記】のなかで、自分より不幸な人を探して安心するより、小さくても素敵な事、綺麗な事を探して生きていたい、そんな感じの事をアンネは書き記していた。あの劣悪な環境の中で、そう考えられる強さが凄すぎて忘れられない。



 夕方6時に家へ帰り、夕食の準備をした。今夜はステーキと、グリーンサラダ、茄子のお味噌汁。ステーキは包丁で表裏切れ目を入れて、塩胡椒をまんべんなく振り、バターを入れたホットプレートで焼いて、おろしニンニクとコーンを入れただけ。茄子のお味噌汁には余っている素麺も少し入れてみた。バターとお肉の香ばしい匂いが食欲をそそった。コーンもぷちぷちした中、お肉の味が染み込んで美味。

 夜の9時にお風呂に入った。湯船に入浴剤をポンと入れた。シュワシュワとした泡が、レモンの香りを連れて立ち上ってきた。懐かしい香り、若い頃使っていたオーデコロンみたいだ。四角い入浴剤は溶けるたび、透明なお湯を淡い黄緑色に染めあげていった。足の指の隙間から、泡がプツプツとその姿を消していく。黄緑から濃い黄色になっていくお湯を見つめながら、ふと、今日の出来事を思い出していた。



 思わず二度見したのは、駅前に、昔好きだった人がいたから。清潔感のある短めの髪に、磨き上げられた革靴。紺系のスーツをビシッと着こなして胸を反って立っていた。同級生の仲間内でもフットワークが軽く、人の懐にスッと入っていける人懐っこい人だった。その彼と同じ誕生日のタレントさんを気にしているうちに、すっかりはまってしまった本末転倒な私がいた。それでも久しぶりに会えて、思わず声をかけていた。

 彼はちょっと驚いた様に私を見て、それから気さくに話してくれた。同級生の話に子どもたちの話、ほんの数分だけど、満面の笑みを浮かべ話す彼。(ああ、この笑顔、推しのタレントさんと被るわ!)図々しく見えて意外と繊細さを兼ね添えている事も知っている。(うん、推しのタレントさんも意外とそう!)私の中で彼の存在は昔過ぎて、彼の事が好きだったから嬉しいのか、推しのタレントさんと同じ誕生日だから気になるのか、ちょっとわからなくなっていた。

 バスが来て、お別れの時間が訪れた。「それじゃまた、元気でね」と、軽く手を上げて、バスに乗る私。「はなさんも元気で!」と、君は私の名前を呼んだ。苗字ではなくて、まっすぐ下の名前で。遠のいていた記憶が突然動き出した。みんなで行った飲み会の帰り、タクシーの中で触れた指の温もり。キャンプで川へ行った時、落とさないように持っててと、車のキーを預けられた事。初めて名前を呼んでくれたあの日。



 お風呂で軽く手足を揉みながら、母の事、彼の事など、ゆっくり見つめていた。時間の割合で言うと、2勝8敗の負け越し気分だけど、素敵な時間だけ見つめていると限りなく10勝0敗に近かった。道路脇に咲いていた、ピンク色のランラナも綺麗だったし、ご飯も簡単に美味しく出来た。録画していた【あの胸が岬のように遠かった〜河野裕子と生きた青春〜】も観れたし、それから、彼にも会えた。そう、若き日の自分にも。

 



《たとへば君 ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫(さら)つて行つては呉(く)れぬか》 ー河野裕子ー

《あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年》ー永田和宏ー








 


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