見出し画像

実家にて 〈 5日目 〉 ツバメの巣作りとピッピッおじさん

ピッピッピッピッー!軽快なリズムで交通整理をしながらおじさんが三叉路に立っている。朝の6時45分、おじさんというより80歳は超えていそうなおじいさん、通称ピッピッおじさん( 私がつけたニックネーム )は私が実家から職場へ向かうバス停の側で町内の安全を守っている。

職人のような慣れた動作で車の道案内をし、また道ゆく人に「いよっ!」と手を上げ止まらせたり、進ませたりしている姿はここで会う全ての人々に挨拶をしているみたいだ。

胸には運動会で一等賞を取ったときもらう紅白のリボンみたいな物を着けている。町内会や警備会社から派遣されたはずもない頑健なピッピッおじさんは、ただ単に自分の役割を全うしている風だ。

役割を持っている人は強いんだなぁ。それは、人から与えられたものじゃなく自ら作り出している使命感なのか?ピッピッおじさん恐るべしだ。

バスを待っていると、マンションの軒下にツバメが巣作りをしているのを発見した。つがいのツバメが小枝や泥を持って何度も往復し、器用にくちばしと足で固めていく。朝は1センチにも満たない泥の塊が夕方にはなんと2センチ程になっている。

そうは言っても、今夜そこで寝るのは居心地が悪そうだ。何処で休むのだろう?と考えたが、本来鳥なんて木の枝や葉の茂みで寝ちゃえるのだ。

巣は卵を産む為、子育ての為だけに作るのかもしれない。巣立ってしまえばお役御免だ。あれっ?人はどうなんだろう?家庭は子どもの為に必要である。だけどね、子育てが終わると、親が地球、幼子はくるくる回る月のように一緒にいたあの頃の家族体系には戻れない。それぞれの場所で新しい居場所を作り、輝きながら、そしてまた終わっていく。


それならば何故、今、私は実家へいるんだろう。


スピチュアル的な考えとでもいうのか。あの世からこの世に来る道筋を両親が作ってくれたから私は誕生した。ならば、今度は私が両親をこの世からあの世に帰してあげる道筋を作っているのか?いや、見守ってあげているだけなのだろうが。

子どもを怒るな、かつて来た道。年寄り笑うな、いずれいく道。そんな誰かが言った言葉を思い出す。自分がいく道をしっかり脳裏に焼きつけておこう。


夕方実家へ戻ると、母はポータブルトイレだけで無く、家のトイレにもひとりで行けたそうだ!父は母がトイレからなかなか戻って来なくて心配したらしい。ほんの2メートル先のトイレなのにね。

圧迫骨折した痛みは自宅に帰ってからは無いと母は言う。ただ足の筋肉が薄くなっていて歩行がおぼつかない。足の筋肉さえつけば、もっと自宅で過ごせるかもしれない。ヘルパーさんに来てもらい、私は通いで間に合うかもしれない。

残された両親の時間はもう長くはないだろう。あと10年も生きたら100歳だもの。それならばやっぱり、出来るだけ好きな場所で好きな人と一緒に暮らして欲しい。

家庭は別でも実家と家はバスで30分、タクシーで10分の距離だ。 デイケアやヘルパーさんをフル稼働し、毎日様子をみに来て、時々泊まる自宅介護、あまりにも希望的観測かしら?数ヶ月でもいいから夫婦の時間を愛しむように過ごして欲しいな。


この世を思い残すことなくフェイドアウトさせる事、それが私の決めた役割なのだから。



いいなと思ったら応援しよう!