真冬のストーブと押し花と僕の先生
イチロー先生は元校長先生。齢90を越えるその体躯は175センチはあろうかという身長で、ステッキ片手にゆうゆうと歩く。その矍鑠とした姿はさすが大正生まれの男子だ。
イチロー先生は昔、中国で教師をしていた。現地の生徒に慕われていたと嬉しそうに話す。中国の冬は厳しい。イチロー先生はどの先生より早く学校に来て、教室のストーブをつける。生徒に寒い思いをさせないよう教室を暖めておく、それは生徒にとってどんなに嬉しいことだったであろう!
イチロー先生は晩婚だ。終戦後、30歳を越えても独身だった。お見合いしても結婚せず、変わった奴だと囁かれていた。自分で納得できる人を探したい。自由な意志で相手を見つけるのだ、そう思ったらしい。
そんなイチロー先生は善き伴侶を見つけた。学校の同僚の教師、ひときわ凛とした女性だ。なんとかかんとか心を射止めた後、女性の実家の四国まで挨拶に行った。九州からはるばる海を二つも超えて行ったが、なんと二度も断られた。しかも、一度目は門前払い。二度目も断られるが三度目の正直というか、三顧の礼を尽くすとでもいうか、ようやく結ばれて夫婦になった。
イチロー先生は律儀なお人だ。デイサービスで一緒の女性に、新聞広告紙がほしい、って頼まれた。折ってゴミ入れを作るのにちょうど良いって。毎回家から持っていくイチロー先生。貰って喜んでいた女性も、スタッフに「もうそろそろ、いらないんだけどね」そうこぼした。奥様も察して「もう、やめていいんじゃないですか」そう言っても「欲しがっているから持っていってやるんだ」と、あくまで律儀なイチロー先生はどこか可笑しい。
イチロー先生はスピーチが得意だ。元校長先生だけあって、誕生会代表のスピーチは饒舌だ。饒舌過ぎて予想を超える長時間になったのには困った。「そろそろお時間が…」「もう少し待ちなさい」のやり取りが三度続いてようやく終了。でも、本領発揮して笑顔で話すイチロー先生は可愛い。
イチロー先生には先生がいる。若い女性のリハビリの先生だ。「僕の先生の言うことは聞かないといけないからね」そう言ってリハビリを頑張っている。いつも教えてばかりの教師という職業柄、教えてもらうって嬉しいみたいだ。時に鼻の下を伸ばしているイチロー先生も微笑ましい。
イチロー先生は、仕事を辞める私に言った。「この仕事(介護)は人に使われるばかりで、いいように使い捨てされないよう気をつけなさい。身体は一つしかないのだよ」いまだに同じような現場で働く私にイチロー先生は何と言うのだろうか?先生、思ったより私、この仕事に向いてるかもしれません。もちろん嫌な時もあるけれど、先生みたいな人との出会いがあるから。
イチロー先生の消息を知った。私が仕事を辞めて一年経った秋の嵐の夜、天に召されていったと聞いた。その日も変わりなくデイサービスに来て、帰りがけ胸が苦しいと言っていたらしい。そのまま夜には倒れ、あっという間にこの世を去った。最後まで矍鑠として最後までイチロー先生らしかった。
今生きていれば100歳をゆうに超えるだろうイチロー先生。その生涯の中で、2年間一緒に過ごしただけだったけど、書ききれないほどの教えをもらった。私の中に年輪があるとすれば、間違いなくイチロー先生も刻まれている。そして、今でも押し花のように色づいているんだ。だから…
いつまでも忘れないよ、イチロー先生。