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実家にて 〜 日暮れまで 〜

 ピンポンとバスの停車ボタンを押す。ショルダーバックを開け、紺色の長財布を取り出す。財布のチャックを開け、小銭が入ったチャックをもう一度開け、230円取り出す。そして、またチャックをふたつ閉める。ショルダーバックに財布を入れたタイミングで、バスは止まる。急いでバックを肩にかけ、傘を手に持ち、運賃箱にチャリンと230円入れてバスを降りる。

 2日間同じ坂道を歩く。ようやくたどり着いた実家の玄関は開いている。スニーカーを脱いでリビングに上がると、父がベットで寝ている。頭元のローテーブルには、OS–1とお茶が置いてある。頭にはアイスノン。心持ち顔が赤黒い。長年の飲酒が肝臓を痛めている証拠だろう。

 「どう?熱はないの?ご飯は食べてる?」「あぁ、大丈夫」と父は言う。母も車椅子で寄ってきて「今日はお父さん、ご飯ちゃんと食べれたとよ」と高い声で喋る。父の体温を測ると36度5分。あちこちに散乱しているタオルや洋服を洗濯機に放り込む。今日は早く帰れそうだ。


 昨日の朝、天気予報は大雨注意報を声高に叫んでいた。徒歩で職場に行く私は、Tシャツに7分丈のパンツ、膝下までの長靴とレインコートという最強の姿で家を出た。帰りがけには思いも寄らない晴れ間が広がり、しなくても良い落胆を感じていた。ふとケータイを見ると着信履歴とメールが複数回。たちまち真っ黒な雨雲が私の意識を覆い尽くした。

 今月2度目のケアマネからの電話は、前回同様、父が熱発したとの連絡だった。前回は38度8分、今回は38度9分。再び母から連絡を受けたケアマネは、わざわざ実家へ来てくれて、アイスノンを頭に敷いたり、OS-1や麦茶を飲ませてくれた。今回も私が来るまでいて下さった。本当に頭が下がる。

 訪問看護師の話によると熱中症の症状との事。ケアマネの処置のおかげだろう、私が来た時には36度8分まで熱は下がっていた。一度目の熱発の日には泊まり、翌日は有給を貰い父の様子を見ていた。全く同じ様子だったので、昨日は家に帰ることにした。階段を下ると見える夜景が、暗闇の中の希望だと良いのにと思った。

 

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 予想通り今日、父は平熱に戻っていた。どうもお腹がすいた時に飲酒した後、熱が出ている様だ。しばらくは禁酒するよう言い渡すと、渋々納得する父。ウォーターインゼリーを吸ってもらい、 OS−1も400ml飲んでもらう。ご飯は助六をヘルパーさんが用意してくれている。少し安堵して実家を後にする。

 帰りがけ小雨が降り出した。バス停に着くと小さな兄妹連れのお母さんがいた。5、6歳のお兄ちゃんはパトカーの絵柄がついた傘、2、3歳の妹はアナと雪の女王の傘で、どちらもおもちゃのように小さい。お兄ちゃんは鬼滅の刃を意識した緑のチェックのシャツ、妹は無造作なポニーテール姿で、絶対必要ないだろうと思われる小さなバックを下げていた。

 いずれ変わっていくもの。子どもたちは成長し、自分の力で生きていく喜びを感じるだろう。巣立たれた母は淋しさで、自分の立ち位置を見失うのかもしれない。それでもその時に出来ることをしないと、いずれ自分の身体すらままならなくなる。小銭を取り出す時の指のままならさや、いつまでも取れない疲れ。その後の展開を、今、両親は身をもって教えてくれている。

 スーパーに寄り、自分が食べたいものを選ぶ。唐揚げに冷奴、ワカメの味噌汁、そしてイカを酢ぬたで食べよう。食後はYouTubeでサザンの真夏の果実を流す。たちまち心はタイムスリップ。何でも出来そうな気がしていたあの頃の自信は、若さの魔法か幻か。今度の休みは前からしたかった、あてのないバスの旅に出よう。確実に訪れる、日暮れがやってくる前に。




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