#3 ファミリーと一生分のゼリー
もし、私の話が誰かの記憶のどこかに少しでも残ったなら、私もいつかどこかで誰かの力になれるかも知れない、という思いで、病気のこと、回復の過程のこと、あの頃思ったことなど、少しずつ書くことにしました。もしご興味があればのぞいてみて下さい。そして私が今振り返って笑っちゃうことを、一緒に笑って頂けたら嬉しいです。
トモと当時彼女のルームメイトだったセシの二人は、私にとってバンクーバーの家族みたいな存在だ。
とにかく一度様子を見てくる、と言って、家族代表で日本から妹が急遽飛んで来ることになった。オットが空港まで迎えに行き、トモとセシはその頃病院のすぐそばに住んでいたので、妹を泊めてくれるという。
オットのことも毎晩一緒に連れて帰り、彼女たちの家でご飯を食べさせてくれた。どうせろくなものを食べてないだろうと心配していた私の気持ちを汲んでくれたのだった。
トモとセシとオットと妹は、まるで本当の家族みたいに、毎日4人で食事を囲みながら、その日の私の様子について話し合った。
今日会社どうだったと同じことをニ度聞かれた、心配だと言って泣き、医師にそれは一時的な混乱で、心配はないと言われて安心する。
持って行った蒸しパンを一口食べたと喜んで泣き、医師に質問する内容を相談する。
そうして”家族会議”をして彼らはお互いを支え合った。ひとりひとりでは抱えきれなかったことも、この急ごしらえの家族と分け合うことで、一緒に乗り越えられたのだと今でも言っている。
私は相変わらず食欲がなかったが、冷たくてつるっと喉を通るゼリーだけはなんとか食べられることがわかると、トモが毎日作って持ってきてくれた。
味が変わったほうがいいだろうと、あれこれ違うフレーバーを組み合わせて工夫しようとして、時々なんとも言えない微妙な組み合わせを試すトモに、試食係のセシと妹は、何とかもっとシンプルな味にするようすがりついて説得したのだと笑っていた。
そして私は一生分のゼリーを食べた。
本当にたくさんの人に支えられて今の私がいるのだけど、特にこの4人には感謝しきれないほどたくさん助けられた。だから彼らに何かあった時には、拙者が命を賭してお守り申し上げますと、私は密かに永遠の忠誠を誓っている。
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血圧がようやく落ち着いてきたので、少しずつ起き上がって動き始めようということになった。リハビリを始めるのは早ければ早いほどいいのだ。
初めてベッドから車椅子に移動する。少しベッドから離れて車椅子から立ち上がるように言われる。それまでずっと薬漬けで横になっていた私は、急に立って血圧が下がりすぎて、ひどい脳貧血を起こしてよろよろと車椅子に崩れ落ちた。
そばにいた妹は、オバケみたいに真っ白な顔をした私を見て、看護師のアレックスを大声で呼んだ。優しくて力持ち。体つきが大きくて、いつもかがむとスクラブのズボンが下がっておしりが半分見える。私たちはみんな彼のことが大好きだった。
アレックスがおやおやと駆け寄って、その日はそれでベッドに戻された。
自宅から担架で救急車に運ばれ、そのまま入院したので靴がなかった。オットに頼んで家から一足持ってきてもらったのだが、力の入らない足首の支えにもなるからいいだろうと、彼が選んだのはハイキングブーツだった。
これが絶望的に履きにくい。
まず左手が思うように動かないから紐が結べない。そして靴そのものが重たいので、左足に負担がかかって余計動きにくい。
仕方がないから、紐を結ばない状態で長靴に足を入れるような要領で履くしかない。そうすると脱げそうな感じがしてどうも落ち着かない。
しかも、病院着が後ろを紐で縛る割烹着スタイルなので、思うように紐が結べない私が着ると、ずるずると脱げてきて半裸みたいになる。
さらに下のズボンはワンサイズだから恐ろしくブカブカで、しかもウエストを紐できつく縛れないからすぐにずり落ちてくる。
上は半裸、下は膝ぐらいまで落ちたズボンで長靴みたいなハイキングブーツを履いている姿は、完全に裸の大将だった。病院関係者以外には誰にも見られていなかったのが不幸中の幸いだ。
自分が山下清みたいでいやだったと半べそをかく、姉のその姿を想像して、妹は大笑いした。
ひどい。
ベッドから起き上がって、支えられながら車椅子に移動できるようになっても、トイレ問題は依然として解決しなかった。ベッドパンからコモードチェアという車椅子形式のトイレに変わっただけで、相変わらず自分ですべてできるわけではない。
入院して一週間ほど経ったころ、ようやく容態も落ち着いてきたので、ICUから普通病棟に移り、リハビリ病院のベッドが空くのを待つことになった。
私の病状も落ち着き、今後の状況も少し見えてきたので、妹は一度両親に報告しに帰って行った。
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ハロウィンの夜、トモとセシとオットは七人の小人の帽子を被ってハイホーハイホーと歌いながら病室に入ってきた。
私にダラーショップ(100円ショップ)のティアラをかぶせ、あっという間に病室をハロウィンのデコレーションで飾り付ける。
どうやら横になっている私は眠り姫で、3人は白雪姫に出てくる小人らしい。話が混ざっていてもお構いなしである。
そんな格好をさせられてオットは苦笑している。よく見たらセシが持ってきたクマのぬいぐるみまで仮装している。
隣のベッドの女の子がそんな彼らの様子を見てくすっと笑った。みんなも笑った。
普通病棟はICUと比べると、当然ベッド数も多くて、看護師さんたちもずっと忙しいから、ICUのように手厚い看護は望めなかった。大好きなアレックスもいない。
やっと車椅子のままシャワーを浴びて良いと許可が出ても、忙しい看護師さんたちに代わって補助してくれるのは、ケアアシスタントと呼ばれる人たちで、こう言っちゃなんだけどあまり丁寧に扱ってもらえない。
左半身が麻痺しているから自分で体を洗えないし、服が着られないのに、手伝ってと言わなければ放っておかれるほどだった。
オットが私からその様子を聞いて、病院にクレームしてやると息巻いていたので、まあまあとなだめた。いつもは私の方がすぐカッとするくせに、おかしなことに普段と逆だ。
そうこうしているうちに、ベッドが空いたので転院が決まり、車椅子のまま乗れるバンが迎えに来て、私はリハビリ病院へ送り出された。
(#4へ続く)