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むかしばなし雑記#10 「笠地蔵ー境界からの来訪者」
はじめに
明けましておめでとうございます。いつもお読みくださっている皆さま、ありがとうございます。初めてのぞいてくださった方、ようこそおいでくださいました。本年もよろしくお願いいたします。
月曜日には学校エッセイを紹介し、木曜日には本当に雑多に、興味のあることを書き連ねています。創作童話に小説、そして昔話に関するあれこれ。前回までは隠岐にまつわる不思議な浦島伝承について、内容と、成立事情などを紹介してきました。マニアックすぎるのではないかとドキドキしていましたが、意外にもスキがつき、フォロワーさんも増えて驚きました(本当に励みとなりました。ありがとうございます)
さて、前回でこの隠岐の浦島伝承について、ひと段落つきましたので、年明けから何を書こうかなあと思っていたのですが……やっぱり昔話から始めます。雪がしんしんと降りしきる夜に、年の瀬の奇跡「かさじぞう」のお話をどうぞ。
前回までの浦島語り、マガジンにまとめています!
「かさじぞう」
以下に、永岡書店「かさじぞう」を参考に、一部省略・表現変更を加えて書き起こしたストーリーを掲載します。
ある村に貧しいおじいさんとおばあさんがいました。大晦日なのに、餅をつくお米もないので、おじいさんは一生懸命笠を編み、それを町へ売りに行くことにしました。「おばあさん、すまないね。きっと米や野菜を買ってくるよ」おばあさんに見送られておじいさんは出かけていきます。雪の積もった道を歩いて、おじいさんは、村はずれまできました。曲がり道には十二人のお地蔵様が立っていて、その頭は雪で真っ白になっていました。おじいさんは一つ一つ雪を払い、雪のお団子を備えました。
「笠はいらんかね、丈夫な笠だよ。」おじいさんは町行く人に声をかけますが、誰もが足早に通り過ぎ、一人として笠を買う者はありません。次第に日も暮れてきて「とうとう米も野菜も買えなかったなあ。」おじいさんは肩を落とし、持ってきた笠をそっくり持ち帰ろうと、とぼとぼ雪道を引き返しました。村はずれの曲がり道には、相変わらずお地蔵さんが十二人、雪をかぶって立っています。「さぞお寒いでしょう。せめて笠をおかぶりください。」おじいさんはお地蔵様の雪を払うと笠を一つずつかぶせていきました。ところが、最後の方までくると笠が尽きてしまいます。おじいさんは仕方なく、自分の笠と手ぬぐいをお地蔵様の頭にかぶせることにしました。「わしの古い笠や手ぬぐいですまないけれど、これで雪くらいは防げましょう。よい正月をお迎えくだされ。」
おばあさんは雪をかぶって帰宅したおじいさんに驚きました。「まあ、おじいさん。寒いでしょうに、手ぬぐいはどうなさったのですか。」おじいさんはおばあさんに雪を払ってもらいながら、今日のことを話しました。「それは良いことをされました。雪の中でお地蔵様もきっと助かっていますよ。」おばあさんもうれしそうに微笑み、二人は質素な晩飯を済ませて寝ることにしました。
ところが夜も更けて遠くから除夜の鐘が聞こえる頃、鐘の音にかぶさるようにして不思議な音が聞こえてきます。シャーン、シャン、という鈴に、「よいさよいやさ。」という掛け声。そして重いものを引きずるような音が次第に近づいてくるのでした。音がとうとう家の前までやってきました。すると、今度はどさっと大きな音がします。それきり音はやんでしまいました。二人がそおっと戸を開けると、そこにはお米に野菜、お味噌やお酒までたっぷりおいてあったのです。
おじいさんとおばあさんがあわててあたりを見回すと新年の朝日が射す雪道を、帰っていくものがあります。先頭には手ぬぐいをかぶったお地蔵様が、その後ろには笠をかぶった十一人のお地蔵様が歩いていました。お地蔵様は笠のお礼に食べ物を運んでくれたのでした。こうして二人は満ち足りたお正月を過ごし、それからのちもお地蔵様を大切に守って幸せに暮らしたということです。
「迎春」の喜び お正月の起源
「笠地蔵」は年が新たになる夜に起こった不思議な出来事の物語です。かつては旧暦1月からの3ヶ月を春、それから3ヶ月刻みで夏秋冬としていました。昔の人にとって冬は辛くて堪え忍ぶ季節。寒さは厳しいのに暖房といえば火鉢や囲炉裏ぐらい、医学も今とは比べものになりません。生きて冬を越せるか越せないか、というレベルでの大問題だったのです。それだけに春の訪れを人々は心待ちにし、そして春が来た時の喜びも並々ならぬものがあったことでしょう。
さて、お正月には様々な行事が行われますが、このはじまりは春とともにやってくる豊作の神様をまつるもの。その昔、神様の多くは流転・放浪するものと考えられており、春の訪れ・新年には穀物の神様がやってきました。この神様(年神様)を迎えるため、門松(神様の目印や宿るところ)や鏡餅(神様へのお供え)を作っていたのが今のお正月文化につながったのだと言われています。貧しいおじいさんとおばあさんもどうにかお正月の準備をしたいと願うのですが、そのために売りに出た笠が思わぬ話に発展していくわけです。
ぞろぞろぞろぞろ……何人連れ!?
お地蔵様12人!?多ッ!!……と思ったの私だけじゃないですよね。もちろん世の中には大勢のお地蔵様が並ぶところもあるのでしょうが、私がこれまで目にしたのはせいぜい片手で数えられるくらい。この話も5~6体だろうとたかをくくっていたのですが、たまたま参考にした本に「12人」と明記してあったので、気になって調べてみました。
このお地蔵様の人数は時代や地方によって異なるものの、ある程度の法則性があるんだとか。それは、「5の倍数、もしくは+1~2人」というもの。昔、笠は一山5つが一般的。おじいさんは笠が全く売れず、持ち帰ることになってしまいました。このときおじいさんがもっている笠は5の倍数個。ストーリーの多くは「お地蔵様にもっていた笠をかぶせました」、または、さらに「足りなくなって自身の笠や手ぬぐいをかぶせました」となっています。だから、お地蔵様にかぶせたものによって、
①売り物の笠全て
→5の倍数
②売り物の笠+自身の笠(もしくは手ぬぐい)
→5の倍数+1
③売り物の笠+自身の笠+手ぬぐい」
→5の倍数+2
となるわけです。某アイドルグループみたいに48人、とはいかない模様。法則以前に多すぎるか……。
年のはざまの来訪者
旧暦の大晦日から元旦にかけては、季節が変わり、年が変わる時間。古くから「境界」には不思議なものが宿るとされていました。例えば節分の豆まきは「季節の分け目に鬼が付け入るのを防ぐ」儀式。これもかつては旧暦の元日前後に行われていたそうです。
お地蔵様も境界の住人。
こちらは「村や町の結界を守護」するため、町外れや辻によく立てられました(お地蔵様は昔の町境や十字路にあることが多いので今度見かけたら場所を確認してみましょう)。旧年と新年の間、年が移り変わる不思議な時間に境界をつかさどる者として訪れたお地蔵様は、親切な2人に幸を授けます。昔の暦やお地蔵様の役目を思えば、なかなか味わい深いお話ですね。
さて今年は巳年。へびが脱皮を繰り返すように、新しい道をつかむ、新たな自分になれる年ともいわれます。皆さまにとって、素敵な一年になり生ますように。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた来週お目にかかりましょう。
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