むかしばなし雑記#06 「さるかに合戦ー集え同志よ敵討ちー」
はじめに
こんばんは、今週も昔話について。とりあげるのは「猿蟹合戦」。大人になればなるほど、「変な話だなあ…」そんな思いが強まっていった昔話の一つです。なぜ陸の動物と水の動物が合戦をするのか。いや、よくよく考えたらサルとカニの合戦(?)と言うことのできそうな二者の直接対決は、サルが木から柿の実を投げつけるあのシーンのみ。あとはカニとの縁がサル以上に薄そうな、栗に蜂、はては昆布に石うすまでもが唐突に敵討ちを始める。これって合戦と言えるんでしょうか?
そのせいなのか、それとも残虐さをぬぐい去るためか、最近の絵本では「合戦」という言葉をタイトルに用いないものもあるぐらいです。そして敵討ちをしてくれる仲間たち、彼らのバリエーションも諸説ある模様。噛みしめて読むほど味の出てきそうな不思議な話、今回は「猿蟹合戦」から。
「さるかに合戦」
以下に青空文庫「猿かに合戦」(楠山正雄)に一部省略・表現変更を加えて書き起こしたストーリーを掲載します。
なお、YouTubeでは楠山正雄氏の作品そのままを朗読にて紹介しています。音声で楽しみたい、という方はこちらからどうぞ。入眠用にもいかがでしょうか?
仏が宿る柿?怒らせたら怖いかに?
「早く芽を出せ柿の種、出さぬとはさみでちょん切るぞ」。なんて理不尽な。だって柿って「桃栗三年柿八年」とも言われ、実がなるまでに長い月日を必要とする木なのに・・・・・・。
そこに他の木とは異なる不思議さを昔の人たちが見いだしたためか、柿の木、特に実がなっていない状態の木は、神聖視されることが多くありました。例えば『宇治拾遺物語』の「柿の木に仏現ずること」という話では、不思議な力をもったトビが仏に化け、人々を翻弄します。
また、「お菓子」が身近でなかった時代、柿糖度の高い果物は素晴らしい甘味でした。糖度の高い果物である柿を取ろうと妖しげな山伏が木に登る狂言もあります。人知を越えたものや、どこかずるがしこいものが宿る柿。そして欲をかきたててやまない柿。猿蟹合戦も柿を巡る争いがそもそもの発端でした。
そんな柿をするすると生育させてしまったのが、「はさみで切る」という脅し文句です。かにはいったん物を挟むと、爪が折れても放さないことから「蟹の死にばさみ」という慣用句も存在しています。恐ろしくって執念深い。昔の人がカニをどう見ていたかが少しだけうかがえますね。かにのはさみに柿が怯えて成長し、カニの執念深さをもって敵討ちを成し遂げるというストーリーの背景には、こんな共通認識があった模様。サル・カニ・柿、一見変わった取り合わせですが、昔の人々が抱いていた動植物のもつキャラクターを思えば案外しっくり来るキャストだったのかもしれません。
敵討ちは誰の手で?
「猿蟹合戦」は時代によって、地方によって様々なバリエーションをもっています。江戸時代の『猿蟹合戦絵巻』で集まったのは「うす、蛇、ハチ、昆布、包丁」となっており、1887年に教科書に掲載された『さるかに合戦』では、栗の代わりに卵が登場しています。後に芥川龍之介氏も「猿蟹合戦」ストーリーのパロディとして『猿蟹合戦』という短編小説を書きますが、この作品でも卵が登場しているため、「卵が自爆してサルを倒す」バージョンは一時期相当に認知度が高かったと考えられます。昆布の代わりに牛糞が登場する話も多いようですね。
統一感もなく、時代によって変わる同志たちですが、彼らは常に身近にあって目立たない存在。台所の片隅で、または牛舎の片隅で、埃をかぶっている「生活の一部」でした。様々に形を変えて語られたと言うことは、その話が当時各地の人々にウケた、ということでもありましょう。横暴なものに対して異議を唱えようとした民衆の心が各地に点在していた。そして彼らの心は、脇役たちの集合で敵討ちを成し遂げるこの昔話を求めていた。様々な改変を経て現在に至るまで各地に残るこの話は、そうした事実の象徴であるようにも思われます。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた来週お目にかかりましょう。