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野坂昭如「火垂るの墓」他

『火垂るの墓』はジブリのアニメ映画で有名ですが、以前あまりの悲惨さに1ページも読み進められずに挫折した野坂昭如原作の小説を、今回初めて読みました。

単行本には『火垂るの墓』の他に、『アメリカひじき』『焦土層』『死児を育てる』『ラ・クンパルシータ』『プアボーイ』の5編が収められていました。

『火垂るの墓』を読み、戦災孤児について調べたくなり、ネットでちょっと調べたのですが、なんと、『アメリカひじき』『焦土層』『死児を育てる』『ラ・クンパルシータ』『プアボーイ』に、戦災孤児についての様々なこと、到底体験者でなければ知りえないことが非常に詳細に書かれてあり、当時の状況がとてもよくわかりました。

『アメリカひじき』は、敗戦から22年後、高度成長期の1967年が舞台。
終戦の時10代の少年だった主人公は結婚し、3歳になる子供もいて、東京でテレビやCMの制作会社を主宰、妻子をハワイ旅行などに行かせる余裕もあります。
しかし敗戦時や戦時中の記憶は今も生々しく、妻がハワイで親しくなった老夫妻を自宅に招くことになり、アメリカに対する複雑な想いと敗戦の記憶が交錯。
戦時中と敗戦後の、少年の目から見た急激な世の中の変化の様や、当時の日本人のアメリカに対するコンプレックスなど、非常にリアルです。

『焦土層』は、野坂昭如も養子に貰われながら戦後、12歳の時に実父に引き取られたという経歴があるそうなので、もしかすると実体験に基づいているのかもしれません。
東京の芸能プロダクションで働く男性が、養母が亡くなったという知らせを受け、神戸に行き養母の葬式を行う話で、時代は『アメリカひじき』と同じ頃のようです。
養母は空襲で夫を亡くし、2年程養子の息子を育てますが、貧しさからその息子を東京の実父に戻し、主人公もそれからは何不自由なく成長。大人になってからは養母に月1万円の仕送りもしていました。
しかし養母は、亡き夫が亡くなった場所近くのボロアパートに暮らしながら、生活保護を拒否し、主人公の仕送りをありがたく思いながら最低限の生活を送っていたのでした。
主人公は養母の葬式を行った後、墓はどうしたらいいのだろう、と考えていたところ、宅地造成地で地表から60センチほど下に赤茶けた瓦礫の層、つまり空襲の焼け跡の層があるのを見つけ、そこに養父の位牌と養母の骨片を押し込めました。
養母への懺悔の気持ちが感じられましたが、しかし、主人公のことは責められないと思います。養母はかわいそうな人生だったと思いますが、生活保護を拒否し、養子だった息子の仕送りだけで生活するというプライドを守ることが、養母の一番の望みだったのだと思います。

『死児を育てる』は、時代は昭和34年、2歳になる我が子を殺害した母親が主人公です。
夫は仕事が多忙で家を不在にすることが多いものの、生活は豊かではた目には何不自由ない生活。しかし我が子の成長と共に、幼くして死んだ妹の姿が重なり、自らを罰するためであったのか、我が子を手にかけます。
主人公は、東京で母を空襲で亡くした後、10代で2歳の妹と共に新潟に預けられ、戦争末期という極限状態の中、妹を死なせてしまったという過去がありました。
妹の食べ物に手を付けてしまったこと、泣くと頭を叩いたことなどに罪悪感を抱き続けたことなど、これも野坂昭如氏の実体験に基づいているようです。

『ラ・クンパルシータ』は、少年院に収容された戦災孤児の少年達の話。
戦争で親も家も失った子供たちは、みなしごとなって盗みや窃盗などを行い、犯罪者になるケースが多かったそうです。しかしそれは生きるため、仕方のないことではなかったかと思います。少年院の環境は劣悪で、栄養状態も悪く、死亡するケースが多かったそうです。
それにしても飢えの恐ろしさ、牛のように胃の中のものを反芻する術を覚えたり、飢餓の恐怖から食べ物の執着が強くなり盗み癖がついてしまったり、極限状態をまざまざと知らしめます。

『プアボーイ』も少年院の戦災孤児・辰郎が主人公。辰郎は少年院に収容された少年の中で運よく、父の弟に養子として引き取られますが、養母に恋焦がれるようになってしまいます。

どの少年も、平和な時代であればごく普通の少年として成長できたと思いますが、戦争によって親を亡くし、まわりの大人たちも自分のことで精一杯という状態の中、様々な不幸に見舞われながら転落し、命を落としていくのが辛いです。

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