「ハートの論理モデル」的“無心”の意味するところ
加藤シャンティ徳子さんの「ハートの論理モデル」に基づくと、“ココロ”は“マインド+感情”です。
だから、“無心”とはマインドと感情が鎮まり、ハートの呼びかけやヴィジョンを受け取ることに専念している状態、と言うことができるかと思います。
つまり、何も考えていない“no mind”な状態ではなく
普段意識を向けていない、ハートからのメッセージに意識を向けている状態、と言えるのではないでしょうか。
「してはならないこと」を意識するのではなく、「すること」を意識する方が、行動として起こしやすいです。
落合博満さんがプロ野球の監督時代に、
「ピッチャーが投げる低めの球を“振るな”」と指示せず
「ピッチャーが投げる低めの球は“見逃せ”」と指示して、
徹底させたというお話をされていたのを思い出します。
その場合、見逃したことで、低めの球がストライクで見逃し三振になっても、チームの指示を徹底したということで、責めることはしない
ということとセットで指示したそうです。
そうすると、相手ピッチャーは低めはストライクの精度が必要になってくるので、その重圧がじわじわと掛かってくる状態にもなるのだそうです。
瞑想をするとき、「考えないように」と言われても、なかなか難しい・・・
と悩まれる方が多いように思います。(私もそうでした。)
「感情とマインドを鎮めなさい」ではなく、
「ハートを感じ、ハートを意識する」ように意識する。
そうすると必然“無心”状態に導かれ、それは決して何も考えない状態ではなく、ハートが呼びかけていること、導こうとしていることを積極的に受け取る状態を自らの意思で創り出している“能動的”な行為とも言えるのではないでしょうか?
「ハートを感じ、ハートを意識する」
に出会ってから、私は、いわゆる“無心”状態を創りやすくなりました。
脳と心のリラックス状態を導く方法を会得できたのも、「ハートの導きに従う」生き方を実践することで得られたことのひとつです。
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