言葉はもう必要ない。
女性のY様から「Naokiさんの悟りのエネルギーに静かに共振させて頂ければ、嬉しいです」とメールをいただいて、セッションをした。
今まで、Y様ほど、何もしゃべらず、質問もしない方はおられなかったように思う。
90分近くセッションをしていたのだけれど、我々はそのうちの60分、いや70分は沈黙していた。
Y様は「思考が騒がしいので、意識をお腹におろしたい」ということを目的にセッションを申し込まれた。
僕はY様を下腹のスペースへ──穏やかなくつろぎの中へと誘導していった。時間が経って、Y様に目を開けてもらい質問をした。
「どうでしたか?」
「動悸が今はありません」
「そうですか。それは良かったです」
「いつも頭が忙しくて、次のことばかり考えているんです。次にこれをやって次はあれをやってって…だから、その忙しなさと緊張で動悸が起こっていたんだと思います。でも、今は何も考えることができません」
僕は何か質問したいこととか話したいことはないですか?とY様に訊ねると、Y様は僕の言葉が邪魔だと言わんばかりに、ただ首を振った。
僕が言葉を発するたびに、Y様は「あんたの言葉は邪魔なんだよ!」という反応をされていた。もちろん10倍くらい誇張している。でも、本当にそう感じた。
Y様が欲していたのは、僕の言葉ではなく、僕を通じて流れてくる静寂のエネルギーだったのだ。
普通、セッションを受けるひとは何かしらの質問を用意している。でも、驚くべきことにY様はセッションの間、質問を一切しなかった。
Y様はただ静寂を味わいたかっただけなのだ。
質問というのは、頭の中で起こる。脳の中だけだ。でも、気がハラに落ちて、そこに落ち着くようになると、質問をすることすらできなくなる。
それが恩寵(grace)だ。恩寵は質問を取り去る。
従って、我々はこのセッションで会話らしい会話をしなかった。
Y様はセッションが始まる前の段階(メールのやりとり)から事前に「情報はそんなにたくさんいらない、言葉で説明されると頭が忙しくなるから」ということを伝えてくれた。
ただ、お腹に意識が落ちるように誘導してくれるだけで良い、ということを書かれていた。
セッションの途中から僕はそのことを思い出した。Y様のメールを思い出したのだ。
そして、会話をすることをやめた。そして、静寂を信頼することにした。言葉は邪魔だったのだ。
今回のセッションで、僕は沈黙を──恩寵をもっと、もっと信頼しなければならない、と実感した。
恩寵はすぐそばで我々を包み込もうとしているのに、言葉(思考)が台無しにしてしまうのだ。
〇
最近、言葉では悟りを伝えることができないんだ、ということをつよく感じる。
僕は一定の段階に達したひとにはもう本を読まなくて良い、ということを伝える。
本を読むことで知識を得ることはできても、それは頭を忙しくさせるだけだ。もちろん、ある段階まで本は役に立つ。
でも、いつかは本を手放さないといけない。
「あの本には、何か大切なことが書かれているだろう」と頭(マインド)は求め続ける。
でも、本を100冊読むよりも、誰か悟ったひとといっしょに瞑想なりワークをした方が断然早い。
なぜなら、ワークは言葉ではない理解──体感を引き起こすからだ。
もちろん、新聞でも料理本でも小説でも好きな本を何でも読めばいい。
でも精神世界の本と言うのは、探求者をゴールのない迷路に迷い込ませることになりかねない。
そして、それは頭(マインド)を混乱させる。せっかく、ワークをして体感したくつろぎが台無しになってしまう。
だから、読書よりも実践。大事なのは、頭よりもハラだ。
今週のサットサンは11月2日(土)の午前11時からです。zoomにて無料。希望される方はこちらまで↓
naokifloweroftheheart@gmail.com
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