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ここに来れば大丈夫。

僕の父なる人物は、教育熱心で自分を含めた子供たち三人に幼い頃からたくさんの習い事に通わせていた。

英会話スクールや塾の費用に多額のお金を費やした理由の全ては良い大学に進学させて、良い企業に入社してもらうためだった。

そしてその投資の結果、僕たちきょうだい━━姉、僕、弟は名の通った大学に入ることができた。しかし、その後は父から見れば予想外の結果になった。

姉は就職せず、卒業後にすぐに結婚した。僕も就職しなかった。弟は現在、名の知れた企業に勤めているが、新卒で入社した会社を辞めて個人事業をしていた時期がある。

その時期、父は「俺の今までの苦労は何だったんだ?」と嘆いていた。

ちなみに僕は父の教育法に文句を言いたいわけではない。むしろとても、とても感謝している。ちゃんとした教育を受けさせてくれたおかげで今の僕があるのだから。

数年前、僕が皮膚の病気になって、湯治の日々を過ごしていた時、父は自分の長年握りしめていた観念を捨て去ったことを話してくれた。

病気で苦しむ僕に向かって、父は

「お前は何もしなくていいからな」と言ってくれた。

つまり、働いてお金を稼ぐこととか、結婚することとか、そういう若者がやるべきと考えられていることをもうやらなくていいと言ってくれた。

「お前は何もしなくてもいい」

という言葉は「ゆるし」である。

一人の人間がただそこに存在していることを肯定すること。

社会的に有用な人間でなくても、結果を出していなくても、ただそこにいて良い、と言ってくれるひとが一人でもいるとそのひとは救われる。

温泉に静かに浸かっていた時、「ゆるされている」と感じたものだった。

母なる地球に愛されているという感覚━━

実際、そこは天然温泉だったので、地下深くから湧き上がってくるあたたかい恵みに僕は癒されていた。

あるいは、20代の前半、大学の図書館に入り浸っていた時、よくキャンパスに隣接している教会に足を運んでいた。

僕はキリスト教ではなかったし、今でもキリスト教ではないのだが、お世話になっていた教授がカトリック教徒だったこともあり、教会に縁があった。

その時期、孤独だった僕は教会の壁に高く磔にされていた黄金色のキリスト像を眺めていた。

平日の午後、そこでは仕事を抜け出してきたサラリーマンや、買い物帰りの主婦とおぼしき女性が連なった長椅子に座って、黙想している。

彼らはきっと自分の抱えている問題を━━親しいひとにですら打ち明けることができない事柄を、心の中で話していたのだろう、と思う。

しかし、反応はあったのだろうか?

どれだけ言葉を投げかけても、言葉は返ってこなかったのではないだろうか?

その場所にあったのは静寂だけだ。

でも、その静寂が━━その沈黙には祈るひとのことを浄化する作用が確かにあった。

まるでダリヤが花ひらいたかのような天窓から差し込む光が教会内のそこかしこを照らすその静寂の空間を僕はどこよりも愛していた。

静寂のその空間に身を浸していると無条件に「ゆるされている」と感じたものだった。

静寂というのは、ゆるし、のことだ。

僕は「ただただ、ゆるされている」と感じられる空間をつくりたい、と思う。

無条件にここに来れば大丈夫だ、と思えるような場所を━━。

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そういうわけで、明日5日(土)の13時からzoomで「サットサン」を開催します。所要時間約一時間。無料。

カメラとマイクはオフでも構いません。

ルールなどは特にありませんが、自己主張をすることや他人のことを否定することはしないで下さい。

気軽に話したいことを何でも話してください。後、質問なども受け付けます。

もし、話したいことがない時はただ静かにします。

そして、無理に沈黙を埋め合わせようとせず、ただ静かにしています。

ただ静かにしている、ということは、瞑想をすることと同じです。

即興で、ちょっとした瞑想の誘導をするかもしれません。

ちなみに、インドではこうした集いは「サットサン(サットサンガ)」と呼ばれています。

「サットサン」には力があります。沈黙には力があるのです。

沈黙している時、つまり静寂に身を浸している時と言うのは、心がハートにとどまっていることなのですが、

「賢者や聖者のような導師(グル)と交流することがその助けになる」と聖者ラマナ・マハルシは言います。

ラマナは「心がハートに沈みこむことによって、執着心などの心の動きがおさまって、自然な幸福を見出す」と常に語っていました。

心がハートの中に沈められるとき、それはどのようにサットサンと関連するのでしょうか。サットサンは外部と内部の両方から働きます。外部から目に見えるグルが心を内部へ押しこみます。グルは求道者たちのハートの中にもいて、そこで心を内部に向き直らせて、ハートの中へ引っぱっていきます。

柳田侃; ポール・ブラントン; ムナガラ・ヴェンカタラミア. 不滅の意識 . 株式会社ナチュラルスピリット. Kindle 版.

べつに僕は自分のことを聖者や導師だとは思っていませんが、お話をする多くの方に「安心や愛の感覚などが共鳴する」と言われます。

僕は特別何かをしているわけではありません。

瞑想会や個人セッションなどをやっている時、気づきそのものとして存在しているだけです。

そして、自然とハートがひらき、愛としか言いようのないものが溢れてきます。

これから、zoomでの「サットサン」を毎週一度どこかの曜日でひらく予定です。来週は土日に予定がありますので、平日の夜になるかと思います。

今まで瞑想会やお話会など参加されたことがある方でも申し込んでいただいて構いません。

それでは参加を希望される場合、こちらまでご連絡ください。↓
naokifloweroftheheart@gmail.com

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