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世界はあなたのハートの中に在る。

女性のT様は、言う。

「初孫が可愛くて仕方ない。ついつい息子とその嫁の教育に口を出したくなる」

僕はT様に

「孫を可愛いと思う──面倒を見てあげたいと思う事は当たり前のことです。まずはその感情を──ありのまま湧き上がる感情を受け容れてください」と答えた。

我々は人間だ。人間としての感情はある。家族や親しいひとたちを心配するのは当たり前のこと。それは執着ではない。

だから、どんな感情が起こっても、それをまず受容する。

でも、心配が行き過ぎると苦しくなる。

もっとも愛おしい存在をこそ誰よりも心配し、自分の思い通りにしたくなる。それは人間の性だ。

T様に「瞑想をした時のことを思い出してください」と言った。

T様と対話をする前、我々は瞑想をした。

「瞑想していた時、お孫さんのことを考えましたか?」

「いいえ」

心配と言うのは、頭の中で起こっている。自我は常に心配している。そして、何ごともコントロールしないと気が済まない。

「私たちは誰ひとりとして、ハートから離れて生きることはできないんです」

ハートは、様々な言い換えができる。神、あるいは創造主、大海原、真我、宇宙……。

僕は「神」と言う言葉は使わない。それは宗教的なイメージを想起させてしまうから。

あえて言うのなら、大海原だ。

大海原をイメージしてみる。ひとりひとりの一生と言うのは、海の表面に現れては消えてゆく、波のようなもの。

一生を終えれば、跡形もなく、全体の中に溶け去る。

そのように、僕たちが心配している愛おしい誰かと言うのは、大海の一部、全体の一部なのだ。

だから、どんなことがあっても、最後には、源に帰るだけ。

そう考えると、重荷が減る。他人や自分に対する心配が減る。

でも、これはあくまでも頭で考えているだけだ。なるべく体感できなければいけない。だからこそ、我々は対話の前に瞑想をした。

瞑想をすると、たとえわずかの間だったとしても、自分が身体に閉じ込められているという感覚から、広い海のような大きな意識を思い出すことができる。

僕はT様と別の参加者のK様に「ハートの感覚はありますか?」と訊いた。

ふたりともハートが何か分かっていた。そして、K様は言う。

「ハートに意識を向けると、とてもくつろぐことができるんです」

ハートが分かれば話は早い。

「信じられないかもしれませんが、ひとりひとりのハートの中に世界が含まれているんです」と僕は話す。

でも、どうしたら、ハートの中に世界が含まれている、と知ることができるのだろう?

その答えは気づきに気づくこと。

気づいていること、さらに、気づきそのこと自体に気づいている時、意識が空間にひろがってゆく。

その気づきは宇宙に満ち溢れている。そして、その気づいている意識の中心がハートなのだ。

瞑想は普通、集中や、気づくことだけをする。

たとえば、ロウソクの炎を見つめるとか、呼吸を観察する、とか。

でも、もし、ロウソクを観ている者、それ自体を──

呼吸を観察している者、それ自体を観ることができれば──

意識を後ろ側に、反対方向に向けることができれば──

あなたは目覚める。

気づきに気づいていることを「観照」と言う。

観照ができれば、瞑想をしなくても、常に瞑想している状態になり、つねに覚めている者、「覚者(ブッダ)」になる。

T様は「気づきに気づくことが分かる」と言う。

「気づきに気づいている時、どこにも焦点を合わせないで、全体を観ています。その感覚は分かりますか?」と僕が言うと、T様は分かります、と言った。

どこにも焦点を合わせずに、視界に映る景色全体を観照しているとき、心は頭から下降して、ハート・センターに落ち着く。

そして、ついにその時、覚者たちによって語られてきた永遠の至福である「私は在る(IAM)」が立ち現れる。

ハート・センターに心が落ち着いている時、世界はあなたの中にある。

この時、他人をコントロールしたり、あるいは、心配することは起こらない。

結局、問題と言うのは、全て自我の視点なのだ。心配をしているのは、自我で、真我というハートにとっては何も起こっておらず、全部大丈夫なのだ。

K様は「外側のことに気を取られている時、ハートの感覚が分からなくなるんです」と言い、僕は頷いた。

僕はT様に「お孫さんのことを、ハートの中で祈ってください」と言った。

T様は静かに目を閉じていた。

やがてT様は「ハートの中で自分の孫のことを静かに思いました。そうしたら、ハートがあたたかくなって自然と大丈夫だと感じたんです」と柔らかい表情になられた。

全て大丈夫なのだ。

大丈夫ではないと思うのは、自我であり、心。

心をハートに落ち着かせること。

我々の身体と心は大きな海(ハート)のなかで現れては消えてゆく、儚い波のような存在だ。

全てのひとはハートという源泉から生まれ、ハートという源泉に帰る。

あなたの親しいひとは全く別のどこか遠くに行くわけではない。

あらゆる存在はあなたの内側に在る。









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