
あなたの魂は美しいから、それを守って。
この前、zoom対話の今後をどうするかについて記事を書いたら、多くの方にアドバイスをいただきました。詳細な料金設定のやり方を教えて下さった方もいましたが、まだどうするか決めかねています。
先週、お話しさせていただいた方々のほとんどが、経済的に苦労されていて、「無料でなければ、申し込むことができませんでした」とおっしゃっていました。そのため、お金をもらうことをまだためらっています。
ですが、お金を払いたいですと言ってくれる方や、ドネーションをします、と言う方もいらっしゃいますし、記事にサポートをしてくれる方もいました。感動しています。ありがとうございます。
ところで、無料で何度もセッションを受けるのが申し訳ないと言う気持ちは理解することができます。もし逆の立場だったら私も同じことを思います。
しかし、まだお金をもらうタイミングが来ていないように感じます。
現在、何人かの方が2回目の申し込みをされて、実際にセッションを受けておられるので、もし、また聞きたいことがあったり、話したいことがある場合は、気軽に申し込んでいただいて構いません。
お陰様で、自分がやっていることに自信がついてきました。いずれ、お金をもらいたいな、と思ったら、正直に言います。
ありがとうございました。
****
瞑想が深まり、深い静寂の至福に溶け去っている日々が長く続いていた。
でも、先日、zoom対話を申し込んでくれた女性とお話ししていた時、僕には、まだ少しばかりのエゴがあることに気づいた。
彼女は僕が今まで出会った女性の中で、一、二を争うほどの純粋なハートを持っていた。とてもピュアな女性で明るく振る舞われているのだけれど、精神障害を患っていた過去がある。
人の笑顔の裏には隠された苦しみがあるのだなと思った。彼女は自分が当たり前にできることをとても大きな勇気を出してやらなければいけなかった。
電車に乗って、少し遠い街に行って、大好きな音楽のイベントに参加したいと言う。でも、行けるかどうかわからない。
「音楽を聴きに行っても大丈夫だと思いますか?」と彼女は僕に尋ねたかったのだ。
そんなに大切なことを僕に聞いてくれるなんてと思った………。
彼女はまるで、ものごころついたばかりの少女が今日経験したことを母親に話すみたいに、散歩することや、歌うことがどれほど楽しいのか、と言うのを僕に伝えてくれた。
彼女は自分と同じように苦しんでいる人たちを癒すことができれば、とおっしゃっていた。そしてできれば会社に入ったりすることなく、自分のペースで少しずつお金を稼げればと言っていた。
僕は彼女と対話を終えた後、初めてエゴイスティックな祈り方をした。
人が大きな問題を抱えて苦しんでいるのは、より高い次元から見れば、何かを学ぶため、あるいは気づきを得るためにそれを経験しているのだというのは間違いないと思う。
それでもなお、僕は彼女にこれ以上、傷ついて欲しくないと思ったし、苦しんで欲しくないと思った。
言い換えると、この地上的な争いや憎み合いに、汚されてほしくないと思ったのだ。
正直に言って、社会は腐っている。社会と言うのは学校も含めてだ。六歳から六十歳まで、怒鳴り散らしたり、他人を蹴落としたりする場所に美しく、繊細な心の持ち主が身を置いて良いはずがない。
天使の羽がもがれるようなことがあってはならない。
ある種の人間と言うのは──いや、多くの人間は、この地上的な苦しみに耐えられるほど強くない。
僕は彼女がたとえ、これからやろうとしていることが成功しなかったとしても、そのピュアなハートを大事にしていれさえすればきっと大丈夫だろうと思った。
そして、そうなるように僕は祈った。
思うのだけれど、人と同じように生きていけない、体が弱い心が弱い、そういう人たちは自分を変えようとするのではなく、そんな自分でも良いし、きっと大丈夫なんだ、自分は人と同じようにはなれない代わりに全く別の道が用意されているんだと信じることが大事だと思う。
内側に対する強い信頼を持つことだ。
神さまはあなたに特別な道を用意している。それを信用すること。
「私はこんなにも人とちがってこんなにも苦しい思いをしてきたんだからずっと苦しいままなんて不公平だ」くらいに思ったっていいと思う。
家族に迷惑をかけても良い。親孝行をしなくちゃなんて思わなくても良い。
不安になったら、ハートに祈ってごらん。
そして、身体に何が起こっても、魂は影響を受けていないと知ってほしい。
すると、お金がなくなることや病気になることにそれほどの恐怖を感じなくなる。あなたがダメになることなんてない。
一瞥体験をした五年前、自分が半分いなくなった。どこかにいってしまった。ある意味で、「あの世」に足が半分突っ込んでいる。
そして、「あの世」から出てくる言葉が人を救うのも事実だ。
聖書に「この世にあって、この世にいない」という言葉があるけど、まさにそれが一番しっくりくる。でも時々、「僕は今、人間をやっているんだなぁ」と感じることがある。
それは誰かと関わっている時だ。誰かのために祈る時だ。僕はひとりの人間として、彼女のために祈った。
感想メールのなかに、彼女は
自力だけでなく他力の大切さを改めて感じています。
と書いておられた。そうだ。それこそ、我々が信頼すべき力だ。
思考(エゴ)や周りの人間はちゃんと社会に出て働かないと、将来、誰も面倒見てくれないぞ、早く復帰しなさない、と言う。彼らには愛がない。確かに心配はしているかもしれないけれど、ハートから出てくる言葉ではない。
ハート以外から出てくる言葉は、他人を不安や恐怖に陥れる。我々は自分を守らなければいけない。社会に出なくても、復帰しなくても良い。
ただ好きなことをやりつづけよう。そして、その時期が来たら、高貴な天使の魂は優雅にこの地球を去る。