連載小説「ニューヨーク駐妻の果てしなき欲望」 3 英会話スクールへ夜に通う
真矢は、ニューヨークのコミュニティーカレッジに足を踏み入れたとき、少しの緊張感と興奮を抱いていた。日本での生活が長かった彼女にとって、異国の地での学びは未知の冒険だった。
夫の満と一緒にアメリカに移住してきたが、英語の壁に悩んでいた。日常生活はなんとかこなせるが、深い会話や仕事の場では難しさを感じていた。だからこそ、彼女はこの英会話クラスに賭けていたのだ。
コミュニティーカレッジのキャンパスは賑やかで、さまざまな国籍や年齢層の学生が集まっていた。真矢のクラスには、メキシコ、韓国、イラン、そして中国からの学生たちがいた。
教室に入ると、様々なアクセントが飛び交い、英語という共通言語を介して、それぞれが懸命にコミュニケーションを取ろうとしている様子が見て取れた。
講師は中年の白人女性で、陽気で優しい笑顔で生徒をむかえた。彼女は、言葉だけでなく文化の違いについてもすでに知り尽くしているようで、ラテン系の生徒とはスペイン語でやりとりすることもあった。
真矢は最初、クラスメイトと話すのに躊躇していたが、講師の和やかな雰囲気のおかげで少しずつ緊張が解けていった。隣の席に座っていたメキシコから来た若い女性と話をすることができた。
クラスの一環として、ペアワークが頻繁に行われる。ある日、真矢は韓国から来たヨンジュンとペアになった。彼もまた、英語を学びに来た一人であり、彼の流暢さに驚かされた。
彼は真矢に親切に、そして忍耐強く接してくれた。彼女はその日、少しだけ自信を取り戻し、英語を話すことへの恐れが薄れていくのを感じた。
ヨンジュンは、見た目が学生っぽい。
「あなたは学生さんですか?」と、真矢はつたない英語で聞いてみた。
「はい、僕はここで英語を学んでから、フォーダム大学で法律を学ぶ予定です。すでにソウルの大学を出てますが、アメリカで弁護士を目指したいので。」
育児からはなれ、真矢が学生気分で楽しんでる一方で、真矢からベイビーシッターとして雇われた坂本澪は自分の生活に違和感を感じ始めていた。
彼女はNYUでジャーナリズムを専攻する大学生であり、学業とベイビーシッターの仕事を両立していた。彼女がシッターをする理由は単純だった。学費の足しにするため、そしてニューヨークという都市での生活費を賄うためである。
しかし、彼女の心の中には常に葛藤があった。特に、真矢とその夫・満の家で働くようになってからは、その感情がさらに強くなっていた。彼女はこの夫婦に対して、どこかしら憧れを抱きつつも、同時に微妙な嫉妬心を感じていたのだ。
澪はニューヨークでの生活が自分に何をもたらしているのか、時折自問自答することがあった。
都会の喧騒の中で、彼女は自分がどこに向かっているのか、何を追い求めているのかがわからなくなることが多かった。特に真矢と満のような、結婚し家庭を築いている人々を目の当たりにすると、自分の選択に疑問を抱くことがあった。
澪は仕事の後、アパートの小さな部屋に帰るたびに、孤独感が押し寄せてくるのを感じた。
友人たちは各々の道を歩んでおり、彼女自身も忙しさにかまけて、誰かに頼ることが少なくなっていた。そのため、真矢たちの家で過ごす時間が、彼女にとっては安らぎでもあり、同時に苦痛でもあった。
満は真矢が学校に通うことを応援しており、その間に澪が子供たちの世話をしてくれていることに感謝していた。
彼は優しく穏やかな性格であり、澪に対しても分け隔てなく接していた。その一方で、澪は満に対して複雑な感情を抱いていた。彼の優しさに触れるたびに、彼女は自分がどこか心の奥で、彼に対する特別な感情を持ってしまっていることを認めざるを得なかったのだ。
ある日、真矢が学校から帰ってくると、満と澪がリビングで話し込んでいるのを目にした。真矢は微笑みながら「お疲れ様」と声をかけたが、その瞬間に澪の表情が一瞬曇るのを見逃さなかった。彼女はその時、何かがおかしいと感じたが、深く考えないように努めた。
澪は徐々に、真矢と満の家族と親しくなっていった。真矢も澪の存在に感謝しており、彼女が赤ちゃんの世話をする姿を見て、彼女に対する信頼感が増していった。しかし、澪の心の中には、彼女自身も理解しきれない感情が渦巻いていた。
澪はある日、真矢から「週末、一緒にランチに行かない?」と誘われた。澪は一瞬、迷ったが「はい」と答えた。彼女はその日、真矢と一緒に過ごすことで、自分の中の混乱を整理できるかもしれないと期待していた。
ランチの席で、真矢は自然体で話しかけてくる。彼女の話は、学校での出来事や満との生活のことが中心だったが、澪はどこか上の空だった。彼女は心の中で、自分がこの家族にとってどんな存在なのか、そして自分が本当に求めているものは何なのかを考え続けていた。
真矢が楽しそうに話す中、澪は不意に口を開いた。「真矢さん…私は本当にこのままでいいのか、時々考えるんです。」
真矢は驚いた様子で澪を見つめた。「どういう意味?」
「あなたと満さん、そして赤ちゃんがすごく幸せそうに見えて…私、自分が何をしているのか、わからなくなることがあるんです。」
真矢はしばらく考え込んだ後、優しく答えた。「澪ちゃん、誰だって迷うことはあるよ。でも、私たちにはそれぞれの道があるんじゃないかな。今はその途中で迷っているだけかもしれないけど、それも必要な過程だと思うよ。」
澪はその言葉に少し救われた気がしたが、心の中の葛藤は完全には消えなかった。彼女はニューヨークという街で、自分が本当に求めているものを見つけるために、これからも探し続けるしかないと感じていた。
その後も、澪と真矢、満との関係は徐々に親密さを増していった。
ある日、真矢が学校の課外授業で週末にどうしても抜けられない時、満と澪は赤ちゃんの世話を一緒にすることになった。二人はリビングで赤ちゃんをあやしながら、他愛のない会話を交わしたが、その中で澪は満に対してさらに深い親しみを感じてしまっている自分に気づいた。
満はそんな澪の感情には気づかず、純粋に彼女を信頼し、彼女の存在をありがたく思っていた。しかし、澪は自分の中で、彼に対する感情をどう処理すべきか分からず、もどかしい気持ちを抱えていた。
澪が帰る際、満は「いつもありがとう。君のおかげで僕たちも安心して過ごせてるよ」と微笑んだ。その言葉に澪は心が温かくなるのを感じたが、同時にその温かさが彼女を苦しめる原因となった。
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