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ヴィルタス・クヮルテットの「ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番op.130(終楽章「大フーガ」)」

「血で書かれた文章だけが、価値のあるものだ」
という意味の一節が、ニーチェの著作の中にあったのを、ずっと記憶している。

お前は、自分の血の一滴で、ちゃんと文章を書いているか?
ずっとそう自問しながら、少しでもそうありたいと思って仕事をしてきた。
及ばずながらも。

こんな考え方は、いまどき、息苦しくて、古臭くて、失笑を買ってしまうかもしれない。

もっと気楽にやればいいじゃないか、と。
確かにそれもそうだ。

けれど、いわきアリオスでレコーディングされた、ヴィルタス・クヮルテットのベートーヴェンの「大フーガ」について書いてくれと言われたら、それを仕事として引き受けたら、やはり軽い気持ちでは決して書けない。

今回は、少しでも、血で書けただろうか?
サンプル盤が届き、その1ページ目だけ写真でアップしたので、拡大してお読みいただければうれしい。

音楽自体の特徴や由来をアカデミックに説明することは大切である。
だが、私たちの暮らしと社会にとって、たとえば室内楽が、ベートーヴェンが、どのような意味を持ちうるかを問うことも、それに劣らず大切である。

そんな思いで書いた一文が、少しでもヴィルタス・クヮルテットの活動と、聴き手を結ぶために、支えになってくれればと願っている。

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