【ヴィパッサナー瞑想】実際に参加してみて!DAY5 講和が不安を解消してくれた。
2024年10月2日-13日の12日間、ヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加した。
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◻︎DAY5 続き
『大切な人の死』を考えて猛烈な不安感に襲われた私は、なんとか心を落ち着かせて夜のグループ瞑想を行い、講話を聞いていた。
5日目でこんな気持ちになるのは私だけではないのだろうか。
不思議なことに講話は
『執着が苦しみを生み出す』
という話だった。
私の、私のもの、
という勝手な執着が必要のない苦しみを生み出してしまう、ということ。
例え話で、あるおばあさんが出てきた。
そのおばあさんは、結婚したときにもらった髪飾りと、大事にしていた数100円程度のお金を大切にしていた。
どこに行くにもその二つを入れた巾着を肌身離さず持ち歩いていた。
しかしあるとき、それを無くしてしまいひどく落ち込んだ。
それを見ていた周りの人々が、お金を集めておばあさんを慰めようとした。
お金は倍以上集まり、これで元気を出して、と話した。
しかしおばあさんは「そんなものは要らない」と突っぱねた。
私の巾着に入っている、私の髪飾りと私のお金が欲しいのだ、と。
このお話から学べることは、私の、私のもの、という執着がおばあさんの苦しみを生み出してしまっているということ。
私の、私のもの、というのはただの解釈であり、自分が生み出したただの現象である。
そして、全てのものはいつかは消えてなくなる。
それなのにそこに執着する必要がない。
執着こそが人生を不幸せにする、と。
私が襲われた不安感は、まさにこれだった。
私の家族、私のパートナー、私の友だち。
そんなものはそもそも存在しない。
誰も、私の、ではない。
そして、その『私の、私のもの』は自分に安心や、幸せを与えてくれる、という自己満的な考えがあるから、それは=執着になってしまう。
確かに。
結局自分のことしか考えていないのだ。
講話を通していかに自分がかわいくて、自分勝手なのだと気づいた。
ただ同時に一つ別の解釈が自分の中には生まれていた。
それは執着と愛はどう違うのか、ということ。
それは明日の昼、明らかになる…。