【ヴィパッサナー瞑想】ヴィパッサナー瞑想とは何なのか?目的は?🧘
2024年10月2日-13日の12日間、ヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加した。
コースの紹介と参加までの気持ちの変化はこちらをご覧ください!↓
今回は実際に参加してみて、
【ヴィパッサナー瞑想とは何なのか】
を記していきます!
ヴィパッサナー瞑想とは何なのか?
正直に、このコースに参加する前までは瞑想とは何なのかを全く知らなかった。
1ヶ月前に参加した坐禅修行では、坐禅のことを少しは知ることができたが、坐禅と瞑想は何やらちょっと違う模様。目的は何なのか、どういう感覚を得られるのか、瞑想とは何なのかを知りたい、という強い気持ちが参加に至った理由の一つ。
あとは率直に10日間誰とも話さなかったら自分はどうなってしまうのか、という興味だった。
結論から言うと、ヴィパッサナー瞑想を行う目的は…
【苦しみからの解放】である。
そもそも、四苦八苦という言葉がある通り、人間は苦しみの人生を送る。
四苦八苦とは…
①生 生きること
②老 老いること
③病 病気になること
④死 死ぬこと
⑤愛別離苦 愛する者と離れたり、死別したりすること
⑥怨憎会苦 誰かを恨んだり、憎んだりすること
⑦求不得苦 求めるものが手に入らないこと
⑧五蘊取蘊 自分の身体が思い通りにならないこと
自分自身はあまり苦しみのない人生だと思っているが、これからもし苦しみのどん底に落ちるときは、⑤の愛別離苦だろうなぁ、と瞑想に参加する前から思っていた。
さらに、この苦しみというのは全て
・執着
・渇望
・嫌悪
であるという。
「〜は自分のもの」という執着
「〜したい、したかった」という渇望
「〜が嫌だ」という嫌悪
(たしかにね。
全ての苦しみはこの3つに分類されるな。)
話を戻して、、
その苦しみからの解放を瞑想で目指そう、というのがヴィパッサナー瞑想。
どういうことか。
それは自然の法への理解から始まる。
自然の法というのは、この世の全ては【無常】であり、移り変わり、永遠ではないということ。
(ほうほう。
確かにね。
永遠のものはないよね。
人はいつか死ぬという時点で、自分にとってのものは全て無常だ。)
全てのものは無常、ということは、
自分に起こるあらゆる感覚も感情も無常である。
楽しい、嬉しい、気持ち良い、といったポジティヴな感覚、感情も、
寂しい、悲しい、痛い、辛い、といったネガティヴな感覚、感情も、
全ては無常である。
もちろん苦しみも無常である。
ということは!
そもそも無常なものに対して苦しむ必要などない!
全てのものは無常なのだから、いつかは消えていくものである。良い感覚でも、悪い感情でも、それに対して反応すること自体が間違っている。
(たしかにね。
そりゃそうだし、頭では理解できるよね。
でも実際苦しみが起こったら、受け入れられないのが現実だよなぁ。)
そう!
頭ではみんな理解できる。
でも頭での理解は、本を読んだだけ、情報を聞いただけ、の状態で本当の理解ではない、ということ。
だから、受け入れることができない。
身体で経験してからこそ、初めて本当の理解といえる。
本当の理解は自分が経験すること。
その経験をしよう、経験をすることで本当の理解をして、苦しみを生まないようにしよう、というのがヴィパッサナー瞑想10日間コースだ!ということである。
ヴィパッサナー瞑想は、身体に起こる全ての感覚を客観的に感じていく、という方法。
そして、そこで経験する全ての感覚は無常である、という性質を理解して、平静を保ち続ける、という時間を通して、人生も同じだよね、という本当の理解に繋がる。
ヴィパッサナー瞑想を通して、苦しみからの本当の解放をして、より良い人生を送ることを目指す。
これがヴィパッサナー瞑想の目的である。
ヴィパッサナー瞑想は常に【今世の幸せ】を考えていて、盲目的ではない、自分自身の経験をもとに構成されている。
ただお祈りをすれば幸せになれる、来世は良いところへいける、ということではない。
これが宗教とは異なるところ。
バーっと説明していきましたが、世界には様々な種類の瞑想があり、ヴィパッサナー瞑想とは異なる目的、方法で行われているものもたくさんある。
マインドフルネスといった言葉や、
気持ちを落ち着かせる、
頭をスッキリさせる、
頭が良くなる、
物事に反応しなくなる、
やることが明確になる、
などなど、様々な目的で行っている人もいる。
ただヴィパッサナー瞑想は2500年前から続いている瞑想法で、やり方も時間もシンプルでキツい。
そのヴィパッサナー瞑想の目的は【苦しみからの解放】であった。
次回、実際にコースに参加した体験記を記します!!