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せっかくなんで15年前(2008年)の中二病全盛期の僕のはまっていた趣味を書く

どうも、魔女木直樹だ。今回は、僕が中学2年生だった2008年(つまり平成20年だね)のころ、当時の趣味や出来事について振り返ってみたいと思う。

2008年に東京圏にあるとある中高一貫校中等部2年生だった当時、僕はニコニコ動画という動画サイトで、特に「ニコニコ鉄道株式会社」というA列車で行こうというゲーム関係の動画に夢中だった。当時のニコニコ動画は、駅名や路線名をネタにした文化が盛んで、そのネタを尊重してゲーム内で展開される都市開発動画を楽しんでいた。今もあるんじゃないかな?

それで、当時は厨二病という言葉が流行っていた時期だから、アニメとかマンガでゴシックファンタジーや魔法少女ものの作品に魅了されていたんだ。その世界観に心を奪われ、日々の中で妄想が広がっていた。
アキバ文化のサイトを拾いながらPCやノートに雷の妖精とか暴走族(当時かろうじて存在したみたい)をもとに架空の妖怪を妄想してみたり、あとは現実にはあり得ない(2022年以降は経済環境的にもありえなくなった)20代の自分というのを妄想していたね。安い飯を食いながら大卒後のオタク人生を謳歌するというネタとか、リストアしながら古いゲーム機やゲームソフトを何年間も使い続けるとか(今の家にはPS5が入ってきて現在使っていないPS4以外はみんな最新機。ただし、XBOX系は持っていない)。

2008年の前半は燃料費の高騰が話題となっていて、どこの電車やバスも混雑していた記憶というものがあったね。この時期はどの道路でも改造車(僕の市街地では家から少し距離のある幹線道路を行脚する珍走系や珍古系やバスに乗るとき見かける痛車ぐらいだったけど)ばかり見かけるとかもあったし。

6月には学校で秋葉原で起きた例の通り魔事件をテーマにした討論が行われたんだ。最近韓国でそんな事件起きたけど、そんな事件が当時は日本でも立て続けに起きていた。


8月には今は亡き祖母の家でこれまた今は亡き生まれた直後に住んでいた家に帰省したんだけど、このときはじめて青森空港ではなく三沢空港に行った。それで今は亡き十和田観光鉄道の写真を撮ったり乗ったりした。
そんで、青森への帰省中に青森駅と弘前市内で本屋とか古本屋(全国チェーンのやつ)に行くんだけど、そのときにPS2セーブデータ・裏技大全とかいう本やアキバ系のオタク向けの本を読みふけり、PS2の全クリデータをメモリーカードに入れる作業に夢中になったり、当時の年齢制限を超えて手に入らなかった美少女ゲームの世界を想像し、妄想に耽っていた。
あと8月には夜にゲリラ豪雨とか線状降水帯が毎晩のように発生した時期があって、毎晩落雷で何分間か停電するという時間があった。家の近くに落雷雲が来ているときに両親が窓を開けて雷の五月蠅さを教えてくれたこともあったね。

9月にはリーマンショックといういま中国あたりで起きかけている例の金融危機をマジにして最悪のシナリオにしたような金融恐慌が起きて、その影響みたいなものが学校内にも広がった。小規模な学級内いじめがあったんだっけ?
その時には本の貸し借りが中等部でも高等部でも流行っていて、高等部の怖いがり勉君などを含めて本を借りて、中等部の友人と共に今でいう都市伝説やいわゆるネトウヨ、軍事趣味についての本に熱中していた。ネットでは民主党いじりというネタが当時はやっていて、それをネタにした動画やその音声をキャプったやつをよくMP3やMP4対応の電子辞書に入れてよく聴いていたりした。

この不況の関係もあって10月から12月にかけては、円高デフレ還元キャンペーンが流行ってガソリン代やらファーストフードやらが値下げしまくっていてそれはレンタルビデオ屋にも波及して、私は小遣いや親が借りていたアニメのDVDを活用して、アニメ鑑賞に熱中していたんだ。HDDレコーダーにもビデオテープデッキにも録画されていないようなアニメ、それこそネギま!とかハルヒとかを観ていた(一部は当時野放しだった動画投稿サイトにあるその動画をブラウザで観ていたものもあるが)。

12月の末、東海道山陽新幹線の0系が引退したんだけど、それを記念するために描いた絵を、当時アップロードしていたPixivのアカウントに投稿したんだ。その頃の情熱を思い出すと、とても懐かしい気持ちになるね。

12月の終業式の中等部や高等部の全校集会では、「興味本位でも炊き出し所に行ってタダで昼食を取ることなどするな」という説教が当時の教頭から発せられたんだよ。当時は年末年始に日比谷公園あたりに失業者が無料でご飯食べられる場所があったんだけど、生徒とか大学生が興味本位で行かないように指導する通達でもあったんだろうね。

というわけで、バリバリ厨二病全盛期だった2008年当時の私の日々は、オタク趣味や社会の動きに織り交ぜられた、楽しい思い出でいっぱいだった。

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