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若者に車を持つのはマナーとしての文化という概念がない理由を考えた。

私たちの生活には直線的時間概念(赤ん坊として生まれてから老いて死ぬ)と循環的時間概念(朝昼夕夜、春夏秋冬、24時間365日)というものがあるが、日本以外の多くの国(シンガポールや北欧や韓国など例外はあるが)では金持ちや中流は車やバイクに乗るというマナーが定着しているようだ。

以前アマゾンやアフリカの内陸部の熱帯雨林地域の少数民族に時間概念という当たり前の概念が存在しないという話をYouTubeの地理雑学動画で見た。
熱帯雨林は動く天体や明るさの変化を熱帯雨林に邪魔されて認識できないために少数民族に時間の概念を定着させることを阻害する。

金持ちの多い都会でも学生はみんな満員電車に乗るというのも似たようなものかもしれない。私自身含めて学力の上下や美醜でのいじめは経験していると思うが、高校生で二輪車に乗れるか否かでのいじめは経験したことはない。じじつ今でも多くの高校では事実上運転免許を要する乗り物の免許を取得すること自体が規則上タブー視されていることが多い。

大学に行くと免許がらみのルールはないに等しくなるが、日本ではどんなお金持ちや高学歴者であっても視力聴力運動能力の良い健常者であっても原付免許すら取らずに一生を終えるような人が多い。

なので、車やバイクや自転車や公共交通どっちを使うかの話に絡んだいじめみたいなものを経験していないということが日本人は車社会にもオートバイにも疎いというステレオタイプ的な価値観が生活れ別で定着したんじゃないかなと思っている。

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