子どもがまだ保育園に通っていた頃、毎日近くの消防署で消防車を見ないと機嫌を損ね、家に帰ってくれませんでした。
早く帰って家事をしたり休みたいと思っているとき、子どもが言うことを聞いてくれず情緒不安定になるという状況は、かなりのストレスです。
仕事や家事に追われるなか、子どものペースに合わせなければいけないことに、僕は疲れてしまい、いろいろなことを冷静に考えることができない時期がありました。
子どものペースに合わせて生活を送っていると、次第に「子どものためにがんばっている」という意識が強まっています。
この「子どものためにがんばっている」という状態には注意が必要です。
「がんばる」という状態は冷静さを失わせ、客観的な思考が行いにくくなるからです。
人の我慢には限界があります。
もし自身が我慢の限界を超えたことに気がつかなければ、「努力しても報われない」「私はがんばっているのに、言うことを聞いてくれない」といったネガティブな感情に囚われやすくなってしまいます。
もしそういう感情が漏れ出てしまったら、思ってもいないような言葉や態度を子どもにぶつけてしまい、罪の意識に苛まれ、さらにネガティブな感情に囚われる、という負の悪循環に陥ってしまいます。
そうならないためには、「自分は何のために子どもの療育を行うのか」ということについて、頭の中を整理してみる必要があります。
療育は何のためにするのか?と問われれば「子どもの幸せのため」なのですが、前述したように「子どものためにがんばる」という思考にはデメリットもあります。
そこで、もう一つの側面である「親のための療育」について考えていきます。
親自身のために療育を行うとしたら、それはどのような目的になるのでしょうか。
療育のもっとも大きな恩恵は「安心感」です。
療育を行うことで、従来よりも子どものできることが増える可能性があるからです。
親は常に子どもの心配と隣り合わせの生活を送っています。
子どもの成長が感じられなかったり、将来の展望が見えにくくなると、まず不安になるのは子どもではなく親です。
療育は僕たち親が安心するため行なっているという側面があるのです。
次に「子どもの成長と親のライフステージの視点」で見てみます。
親自身が定年迎える年齢になったときのことを想像してみると、子どもの自立度が高ければ高いほど、老後の負担は少なくなります。
仮に子どもが成人後も生活全般に支援が必要になると、加齢により親自身の経済力や体力に余裕がなくなっていくなか、負担は増していく可能性があります。
積極的に療育を行い、子どもの自立度が従来よりも高まることで、成長とともに支援に要する時間が次第に少なくなり、親自身も自分のやりたかったことに時間を割くことができるようになっていくでしょう。
子どもの成長と親の生活を時間軸で捉えると、療育を行うことで子どものパフォーマンスが上がり、親の自由度が増え、老後のゆとりに繋がる可能性があるのです。
つまり、療育は親のために行うことであり、親は自分のために療育を行なっているということになります。
自分のためにやっているという感覚は、冷静に子どもとコミュニケーションをとったり、マルチタスクに追われる生活の中でも健全なメンタルを保つために重要になります。
僕自身、「育児は子どもの幸せのため」にしている意識がベースにあり、少し心のバランスが崩れそうになると「自分の幸せのため」と意識を切り替えて過ごしていました。
「子どものため」と「自分のため」を行ったり来たりしながら、気持ちを整え冷静さを保っていたのです。
そういった揺らぎの中で療育の日々は過ぎていくのではないかと思います。
親自身が我慢していることに気がつくことは、心にリセットが必要なサインです。
「これは自分のためにしている」という視点に立ち返って、子供との関係性や生活を見直す時間をとってみてください。