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特発性大腿骨頭壊死症手術から5年その1

元々アマチュアランナー、特に長い距離が好きで、好んでウルトラマラソンとかに出ていた。
東京都杉並区の善福寺川周辺をだいたい月に250km~300km走っていた。
6年半位前に左足に異常を感じてはいたけど、なぜか好きだった長い距離を走ると翌日動けない程の痛みを感じ、悶々とした日々を過ごしていた。
近所の整形外科に行っても「走り過ぎでしょ??休みなさい」と言われて湿布をもらってくるだけ。
特筆すべき日が来たのは、それから3ヶ月後くらい。
当時好んで車はマニュアル車に乗っていたんだけど、ある日クラッチを踏んでギアチェンジをしようかと思ったら、左足がクラッチに乗らないのだ。慌てて右手で左足をあげて、その場は事なきを得たが、さすがにこれはまずい。
次の週に近くの比較的大きな病院の整形外科に行って検査を受けた。
そこで「特発性大腿骨頭壊死」と診断された。
簡単にいうと、大腿骨のボールの部分が壊れて、ほぼ無くなっている状態だった。
最近では千原ジュニアさんが同じ病気で手術を受けている。
ただ、そこの先生が自信なさそうに手術を勧めているのと、お世辞にも綺麗とはいえない、この病院で手術を受けるのに抵抗があり、しばらく悩んでいた。
すると、友人の女性の知り合いが、この病気になり、「名医」と呼ばれる先生の手術を受け、半年後にはモンサンミッシェルに行ったと聞いて、その先生を訪ねてみることにした。
その病院は整形外科では日本では有名な病院で、野球選手など有名なスポーツ選手も治療を受けているらしく、院内には名前をあげればすぐわかるような日本人大リーガーのユニフォームやサインが展示されている。
リハビリ設備も当時通っていたジムより充実しているくらい、綺麗で大規模な施設であった。
そこの先生は自信満々で「すぐに手術することをお薦めします、2ヶ月後にやりましょう」と言われてその場で決めてしまうほど、素早く、自信に満ちあふれていた。
とはいえ、大好きなランニングはもう無理だな・・・
そう思うと、たいへん寂しい物があった。
ところがである・・

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