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アイドルとコミュニティー
近年、宮台真司が提唱する「島宇宙化」という概念が、社会の変化を読み解くうえで重要なキーワードになっていると思う。この言葉は、かつては社会全体が共通の価値観や信仰のもとでつながっていたものの、時代の変遷とともに人々の関心が細分化し、それぞれが独自の価値体系を持つ「小さな宇宙(=島宇宙)」を形成するようになったことを指す。例えば、かつて宗教が精神的な拠り所であったのに対し、現代ではアイドルやYouTuber、インフルエンサーといった存在が、その役割を担うようになっている。各コミュニティが独立し、交わることなくそれぞれの価値観を信奉することで、社会全体が分断されていく。これが「島宇宙化」の特徴だ。
この概念は、浅田彰の『構造と力』とも響き合う部分がある。浅田はポストモダンの時代における権力の分散を論じたが、宮台の「島宇宙化」は、さらにインターネットの登場によって加速した個別化・断絶の現象を説明するものとも言えるだろう。
かつて人々は学校や地域、自治会といった共同体に所属し、それが社会的なアイデンティティを形成する基盤となっていた。しかし、現代では個人単位での活動が可能になり、リアルな場での繋がりよりも、オンライン上での趣味や関心に基づくつながりが強まっている。これは一見、多様性が広がるように見えるが、実際には逆の現象も起きている。つまり、人々は自分が興味のあるものだけを選び取り、関心のないものには目を向けなくなっている傾向があるのではないか。例えば、X(旧Twitter)を使うとき、右派・左派の意見を両方フォローし、さまざまな国の人々や研究者、アーティスト、アイドル、さらにはプリキュアやギャル文化まで幅広くフォローしている人はどれほどいるだろうか。多くの人は、自分が心地よいと思う情報だけを受け取るようになり、結果的に世界が狭まってしまう。こうした偏りは、アルゴリズムの影響も大きい。プラットフォームはユーザーが好む情報を優先的に表示するため、ますます自分にとって都合のいい情報しか目に入らなくなっていく。その結果、異なる価値観の人々が出会い、理解し合う機会が減少し、「島宇宙化」したコミュニティ同士の対話が難しくなっている。実際のところ、「島宇宙化」したコミュニティ同士がコミュニケーションを取ることは容易ではない。異なる価値観を持つ人々が対話しようとしても、前提とする世界観があまりにも異なるため、議論がかみ合わないことが多い。社会の中で共存しなければならない以上、異なる価値観を持つ人々が少しでも理解し合える場が必要だ。その手段のひとつとして、ダンスが有効なのではないかと最近考えている。ダンスの良いところは、言葉を使わずにコミュニケーションできる点にある。人間がどれだけ物質的なものや社会的なステータスを剥ぎ取られたとしても、最終的に残るのは「体」だけだ。その体を使い、言語に依存せずに相手とコミュニケーションを取ることで、共同する身体を獲得することができると考える。
「共同する身体」とは何か? 私は、お互いが事前共有をしなくとも心地よく、円滑に共同できる状態にある身体だと考える。ダンスでは、共同する身体を体験することが多々ある。例えば、即興で踊る時、ダンサー同士は言葉なしで互いの動きを読み合う。
「君はこうやって動きたいよね? じゃあぼくはこう動いてみる!」
「ぼくはこのタイミングでいきたいんだ、いけるか? いけるか? おりゃ、いくぞ! いったぁ〜!」
私は、このような体験をすることが多いのだが、他のダンサーも同じような体験をしたことがあると思う。相手との即興を通じて、相手と対話し、お互いのリズムを合わせるプロセスが生まれる。この体験は、異なるバックグラウンドを持つ人々が共同する身体的な感覚を持つことにも繋がる。ダンスが「島宇宙化」した現代社会の中で、分断を乗り越える手がかりになり得るのではないかと考える。
加えて、現代において求められる能力のひとつに、「当事者性を持つこと」があると考えているが、日常生活でいざこざが起きるのは、大抵の場合、お互いの立場を理解できていないことが原因だ。もし、相手の状況や感情をリアルに想像できたなら、多くの対立は避けられるだろう。宮台真司が言及していたが、現在の社会の傾向として、感情の劣化が進んでいる。感情の劣化が進んでいるのであれば、「当事者性を持つこと」は、ますます難しくなるだろう。その点、演劇などの表現活動は、それに抗う方法として有効だ。観客が物語に没入し(没入することがいいかどうかはさておき)、登場人物の立場に立って考えられるかどうかが重要になる。ダンスは、この「当事者性」を育むうえで非常に有効だ。実際に身体を動かし、他者と触れ合い、呼吸を合わせることで、言葉では伝わらない感覚を共有することができる。これは、「島宇宙化」が進む現代において、最も重要なコミュニケーションの手段のひとつになるかもしれない。
これからの Chapter の活動として、ダンスや「遊ぶ」ことを通して、さまざまな人が集まり、交流し、交感できる環境を作っていくことを目指す。異なる価値観を持つ人々が、共通する身体性を通じてつながり、「島宇宙化」した世界の中で、新しい対話の可能性を探っていきたい。
ダンスがどこまで「島宇宙化」の壁を越えられるのか。
それを試していくのが、これからの楽しみだ。