表現する勇気
昨日、母校に行ってきた。そのことをHPに載せていいかと先生に言われ、羽陽曲折あり、僕がその文章を書くことになった。
その時に気づいたのが、「表現する勇気」だ。
僕が原文を書き、友人に添削してもらったんだけど、そこで僕は、”はっきりした感情を書かない”という特性に気付いた。
例を挙げよう。
「校舎や備品が新しく綺麗になっているのに寂しさを覚えつつも、自習室や中庭は変わってねーなーって思います。」
という表現を僕は使う。
友人は最後を、
「・・・など、変わらないものがあるのは安心します。」
と表現していた。
これを見て、
「あ、そうか、安心していたのか」と、自分の感情の正体に気付くと共に、「安心」という言葉の外にある、でも「変わってねーなー」って思ったときに出てきた感情が見えなくなってしまうことに悲しさも覚えました。
僕はこの、「はっきりさせることで消えてしまうニュアンス」のことが好きなんだと思います。だから、はっきりさせたくない。
これが良いのか悪いのか、僕は普段から、ふわっとしたものを切り取ってしまうことが苦手です。なんだか寂しいから。でも、伝えるときには、切り取って、共有しないといけない。
もどかしいけど、切り取ることで、その切り取られなかったものの存在が、自分の中で強く意識されるように実はなってるんじゃないかな。とか今書きながら思っています。
僕は、伝えるのが下手だ。
どうしても、全てを伝えたくなってしまう。誤解されたくないと思ってしまう。
切り取られたところも伝えようとするから長くなる。
人は、何かを伝えたい、表現したいタイミングがあると思う。
僕は思う。表現って、人に伝えるって、勇気がいることなんだ。
だからこそ、伝わった時には最高にうれしいんだと思う。
少しだけ、ほんの少しだけ、勇気をもって、感情を切り取って表現するということを、してみようと思う。
みなと。
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