「日本の財政」(佐藤主光著)を読んで思ったこと

 戦後、1965年、佐藤栄作内閣の時代に赤字国債が発行されて以来、いまや国債、地方債の残高はあわせて1200兆円に上る。
 この一見膨大な量に見える国債残高を評して、財政破綻の可能性や、財政の持続可能性、財政緊縮や財政再建を主張するのが財務省、財政学者の立場である。
 本書の著者もガチガチの財政学者なので、当然ながら財政赤字の問題点を指摘し、財政再建のための緊縮財政を主張する。

 その骨子は、
 ①効果的な支出「ワイズスペンディング」へ(第四章1節)
 ②企業・産業の新陳代謝の促進、雇用の流動化(第四章2節)
 ③抜本的な税制改革(第五章)
 ④セーフティネットの構築(第六章)
 ⑤ペイアズユーゴーの原則の設定(第七章)
にある。


ひとつひとつ検討してみよう。

1 ワイズスペンディングについて

 標準的なマクロ経済学の教科書では、成長の源泉を、労働力の増加、資本の蓄積、生産性の向上とする。需要の喚起ではない。ところが、デフレ経済が続いた日本では、需要が供給を下回るデフレ・ギャップを解消するよう、政府支出の拡大など需要の喚起に経済政策が偏ってきた。確かに供給=成長戦略が無視されていたわけではないが、掲げられた成長戦略の下、実態は需要をテコ入れする景気対策に、「規模ありき」の政府支出だったことは否めない。

佐藤主光. 日本の財政―破綻回避への5つの提言 (中公新書) (pp.115-116). 中央公論新社. Kindle 版

. 標準的なマクロ経済学の教科書と言っているが、要するに新古典派経済学の立場から書かれた「セイの法則」によれば、供給が需要を創出するという考え方を示したにすぎない。ケインズ経済学の立場に立てば、需要が供給を決めるということは充分考える余地がある(有効需要の原理)。
 そもそも、ワイズスペンディングというがいったい誰がその判断をするのだろうか?政治家?官僚?省庁?学者?いったい誰が将来の成長産業を予測できるというのだろう。理想論として想像することはできても、現実的には誰にも予想することはできない。ワイズスペンディングは机上の幻想にすぎない。

メディアや国民の姿勢も問われなければならない。政府への批判は短期的な結果ではなく長期的な視点に拠るべきだ。メディアや国民が目先の成果を求めれば、政治の「近視眼化」が起きたり、目先の予算=金額を重んじたりする。その結果対策は「規模ありき」になり易い。政策には誤りが伴うことを受け入れ、検証と見直しを徹底させることがワイズスペンディングへの第一歩といえる。

佐藤主光. 日本の財政―破綻回避への5つの提言 (中公新書) (p.120). 中央公論新社. Kindle 版.


 この記述もいったい何を根拠に近視眼的か長期的な視点かを判断しているのだろうか。長期的な視点を理由に、現に存在する問題点への批判封じになるなら、長期的視点のもたらす結果は果たして期待通りの結果を得られるのだろうか。

持続的な成長の担い手は民間であり、政府はその側面支援に徹することだ。「経済成長なくして財政再建なし」のところが「財政出動なくして経済活動なし」では本末転倒だろう。

佐藤主光. 日本の財政―破綻回避への5つの提言 (中公新書) (p.121). 中央公論新社. Kindle 版

. この記述からも明らかな通り、著者の依拠する経済学は新古典派経済学に基づく財政学である。学者であれば自らの信ずる学説に従って論理を展開すれば良いのかもしれないが、現実の問題としてそれが必ずしも適切な解決策とは言えないことは多々存在する。財政出動しなくても経済成長すべきとは理想論かもしれないが現実問題とはかけ離れている。現実的でも実践的でもなく科学的空想論にすぎない。


2 企業・産業の新陳代謝の促進、雇用の流動化


 我が国の経済政策は、ややもすれば補助金を使った既存の事業者の保護に重きが置かれてきた。しかし、コロナ禍後の「新しい」経済環境において成長を担うのは「新しい」担い手である。彼等の新規参入を阻害する「ムラ社会」志向の規制や不動産担保や個人保証に偏った融資の慣行を見直して、「新陳代謝」が進む環境を整えていくことが喫緊の課題といえる。

佐藤主光. 日本の財政―破綻回避への5つの提言 (中公新書)

 この記述を読むと、ほとんどの中小零細企業が補助金で延命されているようにも読めるが、実際のところどれだけの中小零細企業が補助金行政の恩恵を受けているのか疑問である。補助金を運転資金のように利用できるかのように考えているのかもしれないが、実際のところ補助金は使途が明確に規定されているものが多く、使い勝手は悪い。補助金がゾンビ企業の延命策に使われていると断じるのは誤解だろう。


3 抜本的な税制改革


 税制の20世紀最大のイノベーションは「付加価値税」、日本でいう「消費税」だろう。付加価値税を最初に導入したのは1954年のフランスだった。欧州諸国では元々、取引ごとに課税する取引高税があった。しかし、取引する度に課税されるため、原材料の取引から素材の製造、完成品に至るまで税負担が累積する問題があった。これを解消するべく、取引段階では税負担が生じないよう「仕入れ税額控除」を入れたのが始まりである。
 この仕入れ税額控除が消費税の特徴であり、経済的なメリットでもある。

佐藤主光. 日本の財政―破綻回避への5つの提言(中公新書)

 一面的な説明が消費税の全体像を説明したことにはならない典型のような説明だ。
 
 フランスが付加価値税を導入した真意は、自国の輸出企業の競争力を高める点にあった。輸出企業は国内では消費税を徴取することができないため、最終的に負担した消費税額の全額を還付されることになる。これによって輸出企業に対して国は実質的な補助金を助成することができ、自国企業の競争力を高めることができるのだ。欧州で付加価値税が高いのも高ければ高いほど自国企業に実質的な補助金を支援できるから、国境を接している国々で付加価値税率を高く設定する傾向になる。欧州で付加価値税が高く設定されているのはこういうカラクリがある。その反面、低所得者に負担になる食品や生活必需品に関しては0%や低税率を課してバランスをとっている。
 このことを国内トップクラスの財政学者である著者が知らないわけがないのだが、あえて記述しないところをみると、その記述の公平性に疑問が生じざるを得ない。


 中長期の成長を決定するのは供給サイドである。働き方改革や規制の見直しを含む「構造改革」は供給サイドの生産性の向上を図るものだ。消費税はこの生産性を損ねない税であり、むしろ経済成長との親和性が高い。

佐藤主光. 日本の財政―破綻回避への5つの提言(中公新書)

 断言しているが、にわかに信じがたい。

 確かに、供給サイドが中長期の成長を決定するのは発展途上国のような供給力が未成熟な国で、生産量を増強したり生産性を向上させれば、経済力を身につけつつある国民が消費を促進して需要を高めるというのは容易に想像がつく。
 しかし、日本のような経済が成熟した国で、需要がないのに生産力を増強したり生産性を向上させたりすれば、あっというまに企業は過剰在庫を抱えてしまうことになるだろう。生産性の向上はマクロだけでなくミクロでも重要だとは思うが、短期的な景気のときだけではなく、中長期的な成長についても需要と供給のバランスを考えることは必要になってくる。需要がないのに供給力だけをのちの需要に備えて伸ばすことなどできるはずがない。


4 セーフティネットの構築


 本書に記載されているセーフティネットの構築内容についてはほとんど同意できる。ただ、その目的が財政再建のためであるというのはいただけない。
 セーフティネットを設ける真の目的は個人の尊厳、生存権の保障にあり、政府の財政を支えるために、セーフティネットを構築していれば不満はないだろうというようなレベルの問題ではない。セーフティネットの制度趣旨の問題をはき違えている。これでは財政再建が果たされれば、もはやセーフティネットは必要ないということになりかねない。


5 ペイアズユーゴーの原則の設定


 ペイアズユーゴーの原則とは、新規の政策によって経費が増加する、あるいは減税を行った場合には、同じ年度内にほかの経費の削減や増税などの措置を行わなければならない制度である。
 
 ペイアズユーゴー原則のような財政ルールは、赤字に歯止めをかけ政府の債務残高の対GDP比を抑えることで財政の持続可能性を高める。
 
 新陳代謝の促進を含む経済の構造改革を進めるとしても経済の成長は市場の中で決まってくる。政府が決定できるものではない。他方、歳出の抑制や増税は政府が決めることができる。財政の規律とはその規模や予算配分のコントロールであることを忘れてはならない。

佐藤主光. 日本の財政―破綻回避への5つの提言(中公新書)

 
 「財政の規律とはその規模や予算配分のコントロールであることを忘れてはならない。」

 財務省が泣いて喜ぶフレーズである。まさにすべての省庁に対してなぜ財務省が強大な権力を有しているのかがよくわかる言葉だ。そして財務省が頑なまでに財政規律を求める理由もここにあるのだろう。
 
 ペイアズユーゴーの原則は確かに財政規律を強める。しかし、その副作用は大きい。とくに教育分野など、単年度で効果のはっきりしない政策にペイアズユーゴーのような原則を当てはめるとまったく実施することができなくなる。つまりペイアズユーゴーのような原則は長期投資を制約する理由として使われかねない。
 実際、1990年度当初予算における歳出が66.2兆円のうち、文教科学技術費は5.1兆円だった一方、その34年後2024年度当初予算における歳出は112.6兆円に膨れ上がったものの、文教科学技術費は5.5兆円にすぎず全く増えていない。ペイアズユーゴー原則のような財政ルールが教育予算への配分などに強い影響を与えているのではないだろうか。

 またペイアズユーゴー原則に従うと、景気後退時にも財政赤字を避け、景気刺激策を実施する余地が限られることになるだろう。機動的財政政策など取りようがなくなり、政府の手足を縛ることになる。これにより、経済全体がさらに悪化するリスクを負うことになるのはまちがいない。

6 まとめ

 日本の財政学者には、財政赤字の原因が愚かな日本国民や政治家の放漫財政やそれを支持する民主政によって引き起こされたという発想が抜きがたいようだ。
 だから未来を憂える財務官僚や財政学者が目先の利益や自分の利益しか見ようとしない国民や政治家たちを導き正しい方向へ誘導する必要があると考えているようにしか思えない。
 その発想のどこに学者的誠実性をもって財政の議論を展開しようとしていると評価できるのか、財政の一面的な部分の情報や主張しか提供せず、いたずらに財政破綻を煽る議論の展開がはたして国民にとって本当にいいことなのかは大いなる疑問の余地がある。財政学会の存在意義さえ問われかねない事態だと思う。
 


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