そうかもと思った話|ADHDってやつか!①
先日会社でとある作業を頼まれまして。
マスターデータから、ある必要なデータを取り出して、ExcelとCSVとファイルに保存してほしいと。
ややこしそうな指示のようだけど、普段の応用なのでとくだん難しい指示ではないのです。
ないはずだったのだけれど、全く理解できない。
作業内容と具体的なフローを丁寧に教えてくれている上司である彼女の説明が、全く理解できなかったのですよ。
彼女はとっても性格が良くて、このときも作業を任せることに少しすまなそうにしながらわかりやすく、しっかり私の目を見て説明した最後に、
「わからなかったら何でも聞いてくださいね」
とまで言ってくれたのです。
なのでわたしはありがとうのきもちを込めて、
「大丈夫です」
と言って、頭の中が真っ白のままパソコンと向き合いました。
こうなったらしょうがない。
「彼女の説明が全く理解できなかった」というのは、もちろんわたしのヤル気が無かったからとかではなく(案外仕事好きです)、彼女の説明が下手だったからでも(もちのろん)、私の経験値的に難しい指示をされたわけでもなく、
そもそも「内容がわからない」という類の「理解」を指してはいないのです。
突然、日本語が頭に入ってこず、目の前で口をパクパクしながら話しかけている彼女の顔だけが目の前に広がる現象のことなのです。
こういうときは、頭の中に白い靄がかかったようになり、「まずい、なんて言っているのだろう??」と焦りながら必死で耳を傾けて、時々聞こえてくる単語を脳裏の壁に貼り付けるようにして、それはもう必死に頭をフル回転させて話を聞こうとしているのです。
そうやって頭の中の靄を払いのけようとしている間に、相手のはなしは終わり、聞き返すこともできずに自席のPCで聞き及んだ気のするファイルを開いて想像で作業を始めるのであります。
聞くつもりはあるし聞き取りたいのに、突然相手が外国語で喋っているみたいに何を言っているか頭に入って来なくなるという現象。
――実はこういうことははじめてではありません。
会社のパソコン研修で、講師が全く何言ってるのかわからないまま時が過ぎるのを待ってたら、その直後に実習テストがあり、全く取り掛かれず、わたしだけ居残りで研修を受けたのはつい数ヶ月前のことです。
わたしはいま34歳の派遣社員で、昨年はフリーランスで仕事をしていましたが、家でやる仕事は集中ができず、やはり外に勤めたほうがいいな!と考え、必死で転職活動をし、最終的にいまは派遣社員として落ち着きました。
その期間のはなしをすると注釈だらけではなしが長くなってしまうのでここでは端折ります。
けれどどんなに端折っても、35歳直前。
老いも感じ始めてきていますが、こういう症状はずいぶん子供の頃から持っていた感覚でした。
いままで何度も普通のことがなんだか急にできなくなったりもしたけれど、
適当にしのいできたはず。
だけど今回は、普段からとても良くしてくれている人が丁寧に説明してくれた上、自分の技術的にも難しくない作業だったのに全く理解ができなかったことが妙にショックで心にスコンと後悔として残っていました。
会社の帰り道や、ベッドで横たわりながらこの出来事を反芻し、あのときもそう、このときもそう、と悲しくなってしまいました。
周りの人が簡単にできることが、わたしにはとても難しいことがある。
みんなもこんなふうに思うのかなぁ。
私はあれも出来なかったよ。こんな事が出来ないよ。
と、ひとりごちてしまいます。
そんなときふと、ほんとにふと、ADHDにも似た症状がなかったかと、ふとふと思い至ったのです。
ふと、という言葉をつよく使いすぎて、「ふと」にゲシュタルト崩壊しはじめていますが、「ふと」とか言っておいて、実はその扉は開かないようにしていたような気がします。
かんたんに自分の未熟さを病気のせいだと騒いではいけない。
グーグルの検索窓に「ADHD」と入れるのは少し後ろめたいきもちがありました。
けれど、検索をかけてみた結果、ほろりほろりと心のこわばりや苦い過去がほどけていく結果となりました。
わたしが失敗して、苦々しく心臓に突き刺さってあるあれやこれやが、代表的な症状として箇条書きになっていたからです。
わたしみたいのが病気や障害を名乗っちゃいけない、と謎の鍵をかけていた扉。
だけどもしかしたら、少しだけ生きやすくなる近道の扉かもしれない。
病院に行ってみようかな?
14歳位の頃、相談したくて入口の前まで行って結局怖くて行かれなかった心療内科に、今ならもっと柔らかい気持ちで行かれるかもしれない。
探してみよう。
そんな感じで、眠りにつこうとしたベッドの上で、隠し扉の鍵を探す旅に出始めました。
さいしょの一歩。
つぎの一歩は、また今度おはなし、できるかな~!
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ところで、に冒頭で出てきた「マスターデータから、ある必要なデータを取り出して、ExcelとCSVとファイルにする」作業は、問題なく出来ました。
気にかけてくれた人、ご心配なさらず。
「どれかのリストから、なんか〇〇用(案件名)のリストをつくるらしい」というゴール地点をなんとか脳が聞き残せていたので、なんとか手探りで進めました。
進めている途中でやっと自身が理解できていない部分がわかり、
そこで初めて指示を出してくれた当人に質問することもできました。
わたしはいままで、基本的には「わからないところがわからない」「わかることはわかる」の世界線で生きていました。
なのでよく、作業の工程が間違っていたときの理由が「わからなかった」からということが多く、「なんで聞いてくれなかったの!?」と言われやすいのです。いるでしょう、そういう人。
わたしとしては、「何がわからないかわからなかった」ため、何を聞けばいいのかわからなかったり、聞いてもまた当たり前の質問に相手が怒り出したりすることがあるので聞けなくなったりしてました。
そうすると、作業は進められないので途中で投げ出すことになります。
宿題や提出物は今まで9割出したことがありません。えっへん!
なので、質問ができて、最後まで自分で作業できたので快挙に近かったと思います。
そうやって、「あ、できた」という積み重ねでみんな成長しているのねぇ~。
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※この文章は病院へ行く前に書きました。病院で診断結果がちゃんと出たら、下書き保存していたこの文をを開放して、この後も少しづつ更新できたらいいなと思っています。じぶんがそのとき感じたことの備忘録として、カウンセリングを受けることでなにかが変わるかもしれない記録として、もしかしたら大人になって同じことで困っているかもしれないひととの共有として、このスペースをを使おうと思っています(´・ω・`)