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『MIZZ鍼灸治療院物語』著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”が 渋谷道玄坂百軒店伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします

◆第2シリーズ 
ザ・インタビュー:MIZZマスターの『ブラックホーク』懐古談
(聞き手:編集人ひめちゃん)


●ガボール・ザボ(1936〜1982)『スペルバインダー』
ハンガリー生まれ 元祖フュージョン・ギタリストという言われ方もするが,稀代の名ギタリストの一人であることは間違いないだろう。 ジェケット画もガボール・ザボ直筆によるもの。
(MIZZマスター:この『スペルバインダー』は,第4話でご紹介したチャールズ・ロイドの『フォレストフラワー』と並んで,『ブラックホーク』がジャズ喫茶でスタートした1967年におそらく一番リクエストを受けたアルバムだと思います)

第6話 松平さんとの思い出(その4)

《ひめちゃん》「これからは“ジャズ喫茶”ではなく“ロック喫茶”のほうが商売として成り立つ」と考えるMIZZマスターとは真逆に,「コルトレーンが絶対だ!」とおっしゃっていた松平さんは,そんな流れをどのように受け止めていたんでしょうかね?

《MIZZマスター》私自身は,店に出入りするお客さんが明らかにジャズ嗜好というよりロックに寄ってきたという印象を強くしていましたし,この新しい流れは止めようがないと見ていました。
 松平氏も,そんな英米のロックの流行や日本の洋楽ファンの好みや変化というものを,彼独特の感覚鋭いアンテナで誰よりも早く察知していましたね。彼の周りには,前にお話しした矢吹さんや河村さんといった時代の最先端をいくアーティストたちの存在が常にありましたから,当然情報の入手も早かったのです。

《ひめちゃん》それでは,松平さんも「そのあたりのロックっぽいサウンドを『ブラックホーク』でもどんどんやりましょう」とおっしゃったんですか?

《MIZZマスター》ところが,彼はもともと慎重居士というか拙速に事を運ぶタイプではないし,後々主宰誌上でのインタビューでもよく口にしていた「自分はへそ曲がりで,融通自在ではないんですよ」との言葉どおり,JAZZからROCKへ変わっていくことに対して,拒否だったとは言いませんがあくまで慎重な姿勢でした。「ジャズDIGの看板を背負ってきた」自負もあったのでしょう,「今のロックと言われるジャンルのアルバムはジャズと比べて総じて完成度が低いのでは?」と彼がポツリと口にしたことをよく憶えています。50年以上の時を経た今でも私の耳に強く残っているひと言なのです。
 当時の私は,とにかく店を前に進めることに無我夢中で,いつの間にやらただのレコードコレクター化していたこともあって,松平氏の真意を確かめる心のゆとりを持てなかったかったことが,今も心残りではあります。

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