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【IDEA】ゴシッピングエンヴィー

今回は「噂」に関する記事です。日頃、著名人の不倫報道や豪華なライフスタイルなどワイドショーで取り上げられています。職場や近所など身近な場所でも、雑談の延長線上に「そう言えば、この間○○さんが…」なんてよくあります。

学校関係者の界隈でよく言われるのは「この業界は世間が狭い」と言うものです。
A先生「○○先生は以前はどちらに?」
B先生「私は○○高校に〇年いました」
A先生「へー、じゃぁ○○先生ご存じですか?」
B先生「あー知ってます知ってます!」
A先生「そうでしたか、因みにあの先生は以前ですね…」←あるあるです。

尤も、噂好きからの人からすれば世間の大きさは関係ありません。本記事では、そうした噂との付き合い方をテーマにしています。題材の観点から、あまり前向きなものではありませんが、よろしくお願いします。

【噂はどこからやってくるのか?】

今も昔も、人間は噂話が好きですが、とある哲学者の書籍に「噂について」まとめていたので紹介します。

昭和初期の作品です。

噂はあらゆる情念から出てくる。嫉妬から、猜疑心から、競争心から、好奇心から、等々。(中略)あらゆる噂の根源が不安であるというのは真理を含んでいる。

三木 清 著【人生論ノート】より

初版が昭和29年なので、今からおよそ70年前の文章ですが、納得のいく段落でした。確かに、情念が含まれる噂話には、事実とは異なることもままあります。

ただ、これは私の経験ですが、情念ではなく、その場しのぎの話題作りという場合もあります。

と言うのも、私も以前、ある方と知り合いになった際、共通の話題を探すことに焦ってしまい、知人の噂話を持ちかけてしまったことがあります。こうした焦りの心理には不安があり、この不安を解消すべく、噂というフィクションに頼ってしまいました。

こうしたケースは職場でも始終見受けられます。「あいつはどこそこであぁだこうだ」「○○先生は以前これこれこうで…」「ホニャララホニャララのかくかくしかじかが…」と半永久的に出るわ出るわです。そうした悪気の無い人種には、情念もヘチマもありません。

因みに、私のnoteも何人かの同僚は読んでいるはずなのに、私にはちっともリアクションを起こさず、それどころかコソコソ噂にするだけです。

ただ、噂話を嫌う人は本当に嫌います。以前、勤めていた学校で、職員室のコソコソがあまりにも酷かったので、とある先生が大激怒したのを覚えています。多くは語りませんが、〇す勢いで飛び掛かっていったので、もう止めるのが本当に大変でした…

この事件がきっかけで、私は自戒の意も込めて「人間的というより、生物としても強くなろう」と心に決めました。

【噂に惑わされないために】

上記の書籍より再び抜粋しています。

嫉妬心をなくすために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的ではない。

三木 清 著【人生論ノート】より

筆者は嫉妬心に焦点を当てていますが、私の考えは少し異なり、その根源はやはり不安だと思います。
噂話に巻き込まれたくないのであれば、その場から立ち去るのが賢明ですが、実のところ、話し手側も嫉妬心などの負の情念に本当は苦しんでいるのかもしれません。こればっかりは、聞き手側がどうすることもできません。お互いの不安を克服するためにも「物」を作るべきだと私は思います。

また、著者は、作る対象を「物」と表現していますが、これは抽象的に捉えて良いと私は思います。音楽や絵画、彫刻などの創作物かもしれません。あるいは、己の肉体や文章、仕事といった具合に、その捉え方は様々です。

モノづくりに没頭することで、不安は消えていき、個性が磨かれ、他人へ嫉妬する隙を与えない。確かに、突き抜けて個性的な人って、人目を気にしてませんよね…

【おわりに】

ここまで読んでいただきありがとうございました。フォローやコメント、スキなどリアクションが励みになっています。これからも参考になるような記事を投稿していくので、よろしくお願いします。






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