見出し画像

【IDEA】男たちにできること

前回は、日本の国民性について記事にしました。今回は性別、特に男性性について書いてみます。センシティブなテーマなので、正直、不安な部分もありますが、私なりに考えをまとめてみました。
というのも、教育現場では、性別による価値観の位置付けが大分変化してきているからです。
「男だったら○○しなさい!」
「男だったこれくらい当たり前だ!!」
「男のくせに…」
→一発でアウトです。即退場です。

【「雄→男 雌→女」が人たらしめているのか?】

そもそも、男性、女性、男性らしさ、女性らしさというのは、地域性、文化的な要素がかなり強いです。

世界中の民族文化を例に挙げています。
男になるための通過儀礼、試練が事細かに記されています。
いやはや、男になるのも大変だ…

筆者は、人間は「おぎゃぁ」と生まれた段階では、生殖器によるオス、メスくらいの区別しかできないとしています。
すなわち、オスが男になり、メスから女になるのは、文化圏によるものであって、持って生まれるものではないとしています。
確かに、世界中の男らしさ、女らしさは地域によって異なりますし、時代によって変化するので納得です。

しかし男らしくなるのは、いつ、いかなるテストで、いかなる指示によって始まるのだろうか。最初の基準は肉体的に、次に法的に、それから道徳的に、最後は知的に始まるが、すべて不確定である。

トーマス・ディ・クィンシー 著:自叙伝 より

【そうです、トーマスさん!不確かなんですよ!!】

上記の引用は、イギリスの文芸評論家の一節ですが、我々大人だって戸惑うことが多いです。
あえて名前は伏せますが、夕方のワイドショー番組で「ジェンダー」をテーマにしていた際、あるコラムニストが次のようにコメントしました。

「最近の日本は、男は女に寄っていき、女は男寄りになっている気がする…2つの性が真ん中、何だが中間になってきている気がする…」

とある夕方のワイドショー:とあるコメンテーター より

その人は、それ以上語ることはしませんでしたが、スタジオ一同、 うんうん 頷いました。
確かに、昨今、薬局では男性用のコスメ商品が台頭していますし、学校では、女子生徒が制服をスカートではなくスラックスを履くのも珍しくありません。
これらは、「(男、女)らしさ」ではなく、「自分らしさ」に繋がるかと思います。

【曖昧になることで問題はないのか】

であれば、「多様さを認め、寛容になりましょう!」と言いたいところですが、それでは記事にならないので、もう少し語ります。
公共の場では、トイレや更衣室など男女分けるべき所はありますが、コミュニケーションは、男女関係なくフラットに接していくのがベースかと思います。
それでも、この男性性の危うさを別の角度から指摘している人もいます。

依存ビジネスに警鐘を鳴らしています。
一刻も早く脱出しなければ、男性の格差は開く一方です。

今の時代、良くも悪くも、ネット環境が手の平サイズかつ手軽です。ネットビジネスの多くは依存ビジネスであり、結局のところ、男子の場合はゲームやポルノなどのドーパミンをターゲットにしたものです。
容易に快楽物質が分泌できてしまう現代、我が息子を心配する親だって少なくないはず。「水低きに流れ、人易きに流れる」という諺もある通り、容易に気持ち良くなれるのであれば、苦労して何かを勝ち取る意欲も湧かなくなります。
ただ、性別の課題や葛藤が問題視されるのは、今に始まったことではありません。

勿論、作家としても魅力的な人です。
裏表紙冒頭の「若者よ、モヤシのようなインテリになるな!(以下略)」が好きです。

横並びの組織を重視する昨今ですが、著者のように叱咤する男が必要になるのも事実です。
ただ、こうした個人のアイデンティティの関して、実は、問題視されれば問題になる程度であって、人間の適応力を信じることも大切かと思います。

つまり、「男であるためにどうすれば良いか」は、世間が位置付けする男ではなく、それこそ「自分らしく男らしさ」を磨いていくことが、現代に即した在り方かと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。最近はコメントなどもいただけるようになり、励みになっています。これからもよろしくお願いします。

いいなと思ったら応援しよう!