#2 TOKYO CITY F.C.との出会い
こんにちは。はたま なおひで、です。
転職報告のnote、思った以上に反応いただいて、嬉しい限りです。
フロンターレ時代にお世話になった方からも「一緒にサッカー界盛り上げよう!」とご連絡いただき、俄然モチベーションが高まっています。
今回は渋谷からJリーグを目指す「TOKYO CITY F.C.」との出会いを簡単に振り返ろうと思います。
まずはクラブができる前まで遡ってみます。
1. 山内一樹との出会い
現在、TOKYO CITY F.C.の代表を務める一樹さんとの出会いは7年ほど前のことです。
当時、僕は川崎フロンターレで学生スタッフとして働いていて、スポーツビジネスに対して少しだけ“意識が高い”大学生でした。(今思うと恥ずかしい)
スポーツビジネスに関わる人たちに連絡して直接お会いし、色々と話を聞いてブログにするということをしていました。その中の一人にフロンターレ繋がりで紹介してもらった山内一樹という男がいました。僕が働く以前に同じく学生スタッフとしてフロンターレで働いていたのです。
正直、そのときに何を話したのか全く覚えていないのですが、、、代々木のサイゼリヤで一樹さんが起業した「大学スポーツチャンネル」という会社の話やフロンターレでの思い出を聞いたのだと思います。
その後、一樹さんが主催していたスポーツビジネス界隈の若手会やサッカー仲間での草サッカー大会に何度か参加させてもらっていました。
その仲間たちの中で、一樹さん含む3人が創設者となって作ったクラブが「TOKYO CITY F.C.」だったのです。
詳細は下記のnoteにこれでもかというほど纏まっていますので、ぜひ読んでみてください。
ようやく立ち上がったCITYですが、実は僕は初年度から所属していたわけではないのです。
2. 思い出のTOKYO CITY F.C.デビュー戦
クラブが立ち上がった2014年の1年間、ちょうどイギリスに留学することが決まっており、CITYの活動に参加することはできませんでした。
ただ、イギリスにいる間も一樹さんとはちょこちょこ連絡を取り合っていて、作りたいクラブの方向性や日本に帰ったら僕がやりたいこととかを共有していました。
そして、イギリスから帰国した2015年3月、初めてCITYの試合に参加することになったのです。
その時、一樹さんからきたメッセージが以下の画像です。
成田!?
なんと日本ではなくサイパンで行われる試合にいきなり招集されたのです。
※CITYらしいと言えばCITYらしく、今もこうした海外遠征に参加したことがキッカケで加入を決めた選手がいるという本当のような嘘のような噂もあります。
そんなこんなでサイパンに行き、サイパン(北マリアナ諸島)代表に3-0で快勝したのです。(しかもデビュー戦1ゴール!)
サイパン遠征は試合の思い出もさることながら、帰りの飛行機が搭乗後の離陸直前に機材トラブルでフライトキャンセルされ半日足止め、日本に着いたのはよかったものの、一部選手がロスバゲと良い意味でも悪い意味でも思い出に残るものとなりました。
ここから、僕のTOKYO CITY F.C.での歩みが始まったのです。
ではまた次回。