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『あきらめる』と苦しみから解放されていく vol.2

こんにちは、スナオイロのナオコです。
『あきらめる』ことについて書いていきます。

vol.1では『あきらめる』が、苦しみの世界から抜け出すためのとても重要なステップになると思っている、その理由をスナオイロ解釈で書いてきました。

今回は、わたしが実際どのような感じで『あきらめる』を使っていているのか、そうすることでどうなっていったのか、といった内容をわかち合っていきたいなと思います。

あなたらしく軽やかに生きるヒントにつながればうれしいです☺

👇よかったら vol.1 からどうぞ😊



🔶苦しみから解放されていくあきらめ方

わたしがここで書く『苦しみ』とは、わたしたちが日常で『苦しみ』だと思っている、「あの人のせいで苦しい」などといった『他者からの影響など、外側で起こる事象に対して感情が振り回される』ものではなく、『自分自身の内側にある根本的な苦しみ』です。

『苦しみ』についてのわたしなりの解釈は、こちら👇のnoteで書いています。
先にお読みいただくと、このあとの内容が理解しやすいかもしれません☺


🔶正しく自分の内側をみる=明らめる

苦しみを知るには、『自分の内側と向き合い、ありのままに事象を観て捉える=自分の内側にある苦しみを明るく照らして明らかにしていく』という過程があると思っています。

vol.1 より

🔹自分の思考の偏りを明らかにしていく

ふだん意識することは少ないかもしれませんが、わたしたちはものごとをありのままに観ているようでいて、実は自分の正義や好き嫌いなどの判断によって偏った捉え方をしていることが多いのです。
さらに、自分の思考を正当化していることも多いと思います。

相手によって見方が変わってしまったり、勝手な思い込みをしていたのは自分なのに「裏切られた」と事実を受け入れられなかったり、相手を非難したり…。

また、自分の好みや意見を肯定してくれる人や情報のみを正しいものとし、「そうだよね!自分は正しいよね!」と認めてほしかったり…。
肯定してくれない人や情報を受け付けないところもあったりします。

このように、わたしたちはいつの間にかフィルターをかけて、自分が見たいようにものごとを見て判断をしているんですね。

苦しみから解放されていくには中庸な視点が大切になると思っています。
そのためにも自分の思考の偏りに意識的になり、明るみにしていきたいですね。


🔶執着することを諦めていく

「あれも欲しい。これも欲しい。あれが足りない。これがしたい…」
と、わたしたちは「ない」ということに意識が向いてしまいがちです。

それは、自分で自分の価値を認められないところ、劣等感などからきていて、その精神的な満たされない感覚・不足の感覚は自分自身と深く向き合わないと解消できませんから、代替として、外側の物質世界のもので埋めようとしてしまうんですね(とわたしは思っています)。

本当に必要なのは、自分でありのままの自分を認めて受け入れるということだとわたしは思っています。

「これが手に入ったら満足できる」と思っていたのに、手に入っても「なんかこれじゃなかった」「やっぱりもっとほしい」と言って結局「ない」を繰り返し続けてしまうのは、本当に自分が求めているもの(自己受容など)じゃないからですね。

これが執着のベースにあると思っていて、依存症などはまさにこの「ない」が止まらない状態になります。


🔹『コントロールしたい欲望』を諦める

『苦しみ』とは、コントロールできないものをコントロールしようとすることから生まれます。

『コントロールできないものごとをコントロールしたい』というのは、『思い通りにならないことを思い通りにしようとする欲望・執着が生じる』ということですね。

そもそもコントロールできない事象に対し、「これは自分がコントロールできないものなんだ」と正しくみることができれば、「そっか、諦めるしかないか…」と手放すことができてしまいますね。


🔹『他責思考』を諦める

よく出す例えですが、「あの人がちゃんとしてくれれば、わたしはこんなに苦しい思いをしなくてすむのに…」という気持ちになったとき、自分が苦しいのは『あの人のせい』ですよね。
この思い自体を諦めてしまうことも、苦しみから自由にさせてくれます。

「えっ?! 相手が悪いのに自分の責任だって言うの? そんなの余計に苦しくなるじゃん!」
と思われた方も多いと思いますが、わたしは責任が全部自分になるとは言っていません。

わたしたちは、このような『どちらかが悪い』という判断をしがちですが、そのような判断をすること自体が苦しみを生んでいることも多いのです。

他責思考ということは『他人軸』で生きているので、「苦しい思いはもうしたくない!」と思っても、他者の言動次第であっという間に感情が揺さぶられてしまい、本質的な苦しみから逃れることは難しくなります。

こちら👇よかったら参考にしてみてください☺


🔹『対立思考』を諦める

先ほども書きましたが、わたしたちは『どちらかが悪い』という判断をしがちで、そのような判断をすること自体も苦しみを生じさせます。

でも、どう考えても相手が悪いという場合もやっぱりありますよね。
その場合、怒りに囚われて相手を責めたくなると思いますが、それは相手と同じ土俵に立ってしまうことになり、苦しみから逃れることはできなくなります。

こんなときこそ感情に囚われず『対立思考』を諦め、俯瞰で見て淡々と対処していくことが大事になります。


🔹苦しむことを諦める

誰もが「苦しみたくない!」と思っているでしょうが、潜在意識の部分では自分が苦しむことを望んでしまっている場合があります。

それは『自分が苦しい状態=自分に利点がある』という世界の中で生きてしまっているから、無意識に不幸になることを自分で選んでしまうんですね。

深く自分と向き合い自分の内側に光を照らして明らかにしていくことで、このような点も気づくことができるようになっていきます。
自ら苦しむことを選ぶのは切ないです。
どうか、自分が苦しむ選択を諦めてくださいね。

こちら👆の中の『自分で苦しみを引き寄せている?!』も参考になると思います。
良かったらご覧くださいませ☺


🔹『不満の追加』を諦める

わたしたちは感情に囚われているとき、その1つの事象に対して次々とその先のストーリーをつくり出して、自分でイライラを増大させていっています。

たとえば、「あの人に○○を頼んだのにやってくれなかった」という1つの事象が起こり、あなたは『イライラしました』。
そして、「そういえばこの前もあの人やってくれなかった」「あの人こんなこともしてたよね、なんか性格悪っ!」…、と延々と『あの人』に対する不満や悪口が追加されていき、そのぶん怒り苦しみも増大していくのです。

もしイライラするとしても、今起こった事象に対する反応のみでストップできていれば、自分が疲弊していくまでのことにはなりません。
イライラが増大するのは、そこに不満や悪口というエネルギーを追加している自分自身がいるからです。
その自分に気づいて諦めていきたいですね☺


🔶まとめ

『あきらめる』シリーズはvol.2で終わりです。
本当はまだまだ書きたいことがあったのですが、まとまらなくなってしまうので、ちょっと強引に終わらせました。笑

わたしたちが苦しまないために一番手っ取り早い方法は、やはり苦しみを生み出さないことなんですよね。

『怒ろうとしている自分を諦める』、『不安に囚われようとしている自分を諦める』ということが常にできるように自分の精神を調えていくことが大切だと思います。

慣れてくると自分でも驚くほどあっさり瞬時にあきらめて手放すことができるようになり、苦しみを感じたとしても囚われている時間が圧倒的に少なくなっていきます☺
そしてその代わりに、心の自由さを感じられるようになっていきます。

その感覚を多くの方と味わっていけるようになるといいなと思っています☺

いつもありがとうございます!
あなたの心に少しでも、あたたかな光が差し込みますように✨
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺

ありがとうございます! このnoteを良いな♪と思っていただけましたら、サポートをよろしくお願いいたします☺