自分が愛おしい♫ 愛と豊かさあふれる世界
こんにちは、スナオイロのナオコです。
先日書いた『内なる旅』のことを、もう少し深掘りしてわかち合いをしていきたいなと思います。
わたしは自分自身と深く向き合うようになってから、他者からほめられたりしなくても「今の自分が一番好きだな~」と感じられるようになりました。
そして、その度合いは現在進行形でますます増しています。
今では、自分のことを「愛おしいな」と感じられるまでになりました☺
ここは すごくハートフルで至福な世界。
『内なる旅』の真骨頂でもあるのかなと思ったりしています(正解はわからないですが)。
外側ばかりに向けていた意識を自分自身に向けていくことで、今までに体感したことのなかった精神的に豊かな感覚・世界があるということを知っていただけたらうれしいな、と思いながらシェアしていきます。
🔶「自分が愛おしい」って変な人?
「わたしは自分のことがとても愛おしいんです!」
そんなことを言っている人(40代後半女性)がいたら、あなたはどう思いますか?(ビジュアルについてではないです)
だいたいこの3つのどれかに当てはまるかなと思います。
このような記事を読もうと思ってくれた方は②が多そうですけど、一般的に言ったら①が多そうですね。
③は少なそうな気がします(わたしは今までこういう方に お会いしたことがないので)。
きっと、5年以上前のわたしだったら、表向きは「素敵ですね!」と笑顔で言いつつ、内心では「何言ってんだ この人…?!」って嘲笑っていたか、
天然さんを相手にするように「こんな人もいるんだ、変わってるなー」って思っていたんじゃないかと思います。笑
でも、自分のどこか深い部分では「うらやましい」とか「嫉妬」の気持ちも感じていたかもな、と思います。
🔶「自分が愛おしい」ってどんな状態?!
「自分が愛おしい」と言葉であらわすと簡単だけど、わかりそうでわからない人も多いかなと思います(以前のわたしも きっとわからなかった)。
(ここでいう『愛』は「こういうことをしてくれるから好き」などといった、条件付けのない『ありのままのわたし・ありのままのあなたでOK』という『無条件の愛』です。)
わたしが実際にどういう状態なのかを説明すると…
一般的な感覚だと、『自分→他者』に愛しさは向けられると思います。
そして、『他者→自分』に愛しさを向けてもらえると満たされた気分になりますね。
これがどちらも『自分⇔自分』になっているのです。
🔹どんなときに自分に愛しさを感じるの?
わたしの場合、意識をして感じようと思えば、ほぼいつでも感じられるようになっています。
意識をしていないときだと、自分がちょっと失敗したときに感じることが多いです。
たとえば、お茶をこぼした、つまずいた、忘れ物をした、道を間違えた…、などなど。
以前のわたしだったら、
「あー、もう。何やってんだ わたし…」
と、自分に対してイラっとしたり、自己否定をしていたようなときに「ウフフ」って微笑ましい気持ちになってしまうのです。
大きくなると怒られるようなことでも、赤ちゃんがやると許されちゃうし、むしろ微笑ましくなってしまいますよね。
それが自分に対して行われるようになっているんです。
変な人。笑
🔶『愛が足りない』苦しいループ
先ほども書きましたが 一般的な感覚だと、愛は『自分→他者』に向けられることが多いと思います。
そして、自分が愛されていると感じるため・孤独を感じないためには、『他者→自分』に愛しさのようなものを向けてもらう必要があります。
(※『愛のようなもの』といった表現をするのは、一般的に『愛』だとされていることが、本来の愛ではないと わたしは思っているからです。)
本来であれば わたしたちは『無条件の愛』の中で育つから、愛が足りないと感じてしまうことは あまりなかったのでしょうが、今の世の中は たぶん多くの人が『条件付けの愛(=制限がある世界)』の中で育っているので、他者から愛のようなものを必要以上に欲するようになってしまっていると思うんです。
これってすごく苦しい循環です。
🔶1人でも完結する愛と豊かさ
いま書いてきたように、世の中で当たり前とされているような愛と豊かさの循環には苦しみが伴いやすいです。
でも「一人で愛と豊かさは完結できるもの」「自分自身が愛と豊かさそのものだったんだ」と気づいて、その方向へシフトしていくんだと決めてしまえば、苦しみは感じにくくなっていきます。
🔶他者を尊重し干渉しない
わたしのように「自分は愛と豊かさそのものの存在だ」などという認識を持ったときに気をつけたほうが良いことがあります。
それは、「わたしが愛と豊かさそのものだ」などという権威的な影響力は、『わたしの内なる世界のみで通用すること』ということをしっかり認識する必要があるということです。
「わたしすごいでしょ」などと他者に対して思うということは、ジャッジをしているわけで、自分より下の存在をつくり出して優越感に浸ったり他者を支配することにつながります。
自分はできる人間なんだという勘違いをしているだけで、実は少し形を変えた同じ苦しい世界のまま生き続けている というループになります。
個々人それぞれに気づきのタイミング、成長のタイミングがあります。
相手が間違っていると思うことでも、その人がそのことについて腑に落ちなければ変わることはありません。
押し付けず、相手の自由も尊重しましょう。
この点は、スピリチュアル的な学びや成長をしていこうとする人にとって陥りやすいところなので常に気をつけたいですね。
🔶自分が愛おしくなる方法はあるの?!
正直、わたしも わかりません…。
いつの間にか、自分が失敗をしたときに「ウフフ」って自分自身にあたたかく微笑みかけるわたしがいて、それによって あたたかく満たされた気持ちになっている自分もそこに存在するようになっていたんです。
わたしはセラピストだったから 今までに数えきれないほどのセミナーを受講したり、たくさんのヒーリンググッズなど購入してきたりしてきましたが、
そんなわたしが最終的に思うのは、
これ以上に大事なことはないなと思っています。
結局、土台がしっかりしていなければまた崩れてしまいますから。
他者に依存することなく感じられる『愛と豊かさ』が自分自身の内側にあることに、多くの人が気づいて体感してくれたらうれしいです☺
いつもありがとうございます!
あなたの心に少しでも、あたたかな光が差し込みますように✨
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺