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田舎に住んでみたら都会的な人間だとわかった
このあいだひさびさに買い物に行った。
クローゼットの中の服をほとんど断捨離してしまったので、厳選されたお気に入りの服は数が少ない。
車移動にノーメイク。パーカーとTシャツでもあれば、人目に触れるのにおかしくない服というものはほとんど必要がないから、田舎暮らしはコスパがいいものだ。あらためて服というのは他人の目線だとか見せる場がないとそもそも必要のないものなんだと思う。かわいい服を着るだけで一人でもテンションが上がるファッション好きな人もいるかもしれないけど、やっぱり誰かに見せるために都会に寄って行くのだと思う。
たとえば渋谷のスクランブル交差点でとんでもない格好をした人や、色々な国籍の人たちの中ではどんな個性的な服で歩いても、それは奇怪な光景ではなく日常だ。誰にも変な目で見られないし、個性と自由を感じる清々しさが東京にはあって、最初にわたしは東京のそういうところにいちばん感動したし、一番好きな部分だった。ここだったらどんなふうに変に生きても、変な格好をしたとしても、人と違っても誰にも何も言われないかもしれない。
田舎はいろいろな意味で尖ってもギラギラしてもいない。個性か没個性かというと没個性の方なんだろう。ちょっとお気に入りの服を着てスタバに行くくらいでも、なぜだか楽しさは都会の方が6倍くらいは多くなったように感じる。個性は、同じく個性が競い合う場で生きるし、かわいい服はきらびやかな場所で着るためにあるのだ。
都会に住むことのなかで必要になるものはほとんど自分と他人を区別するものだったり、他を意識して自分をどのように見せるかに必要なものだったりする。それはマウントの取り合いとか、競争とかにつながって、いきすぎるとしんどくなるけど適度に使うなら刺激的でいられる。虚栄心、自己顕示欲、承認欲求、優越感、いろんなものを満たしてくれるドーパミンの街。それが気持ちよかったときがあったなあと思った。おしゃれして誰にも何も言われずに自由を感じている時、自分を好きになれた気がしたしHSS型のわたしには刺激的で楽しかった。
都会に住むということは自動的に消費社会の中で暮らし、ますます消費のループの中に自分から飛び込んでいくようなものなのだろう。消費や着飾ること、変化や流行や刺激が好きな性質を持つ人は、自然だ森だ畑だっていったって、田舎一辺倒は退屈さを感じるのかもしれない。
わたしはたった2年東京に住んだだけで、空気の汚さとやかましさと人のエネルギーに参ってしまって田舎に移住した。伸び伸びとして、呼吸が深くできるようになった。キャンプや森やピクニックに行きまくり、自分の今まで閉じていた部分まで感性が開けていくのを感じた。こっちのほうが生きやすいなあ、と思った。昔は田舎が窮屈だと思っていたのに不思議だった。
田舎は個性か没個性かと言ったら没個性だと言ったが訂正する。都会はたしかに多様な人が集まり、個性が許される街なのだが、全体に埋没しているような、まるでただのスーツを着たアイコンのような、群れの中の一部のような没個性感覚を感じる。そこにいてもいなくても気づかれないし誰も困らないような。田舎は人口が少ない分、顔の見える関係性があってひとりひとりの存在を鮮やかに感じる。田舎に引っ越してからの方が、わたしは精神的な意味では個を感じるのだ。
たぶん昔わたしが都会の方が過ごしやすかったのは、隠れて全体に埋没していても誰にも何も言われなかったからだった。そのほっとかれ具合の中で、やっとわたしは自由になることができた。それくらい自信がなかったり、人目が気になったり、自意識過剰だったので人に注目して欲しくなかったのだ。注目されたくないのに承認して欲しい、そういう面倒な奴だったし今もまだそうかもしれない。笑
田舎暮らしがすっかり好きになったので、一生に一度くらいは関東以外の本格的な田舎、たとえば離島とか、もう完全に文明の中心地から離れたガラパゴス地域に住んだらどんな感じになるのだろうと好奇心が出て、つい最近まで離島移住ブログなどを頻繁にみていた。
そんな折、冒頭に話したように久しぶりに服を買うためにちょっとだけ都市部に行ったら
こんなにかわいくておしゃれな服や雑貨が買えるなんて、なんて日本は恵まれた国なのだろう
みたいになんだかすごく都市部の文明に感動して、行く先々でお店の店員さんとイキイキ服の話をしながら服を買ったり、パーソナルカラーだの骨格診断だのメイクだの、女子力の高い方々と美意識の高い話をしていたら、
こんなに楽しいのに都会にもたまには来れないと死ぬわ
となって、離島移住計画は立ち消えとなった。
今回のことから学んだことは、わたしはそこそこ都市も気に入っているということである。(東京は疲れるのでほどほどの都市)たぶんデフォルトは、空気が綺麗で自然があるところに住まないとすぐに精神と感覚が病むけど、きらびやかな場所から離れすぎても、「かわいいカフェでかわいい服着てお茶したい」とか、「腕のいい美容師さんにおしゃれに髪切ってもらいたい」とかの女子的欲求が満たせないのだ。だいたい、引越し先で一番なやむのが美容院なのである。そこで気づけ。
キャンプにハマってすっかり田舎の住人になった気がしていたが、離島に住んでやりたいことも特になければ、(釣りはちょっとやりたいけど関東でもできる)毎日畑を耕したり海を眺めて過ごす日々を自分はそんなに望んでいるんだろうかと、まじまじと考えなければわからなかった。
わかっているつもりなのに体験してみないとわからないことがどれだけあるんだろう。これからも知るために体験するだろうし、そのたびに突拍子もないことをまた言い出すかもしれない。たんに欲張りなのだ。たぶん安住せずに新しい経験をつぎつぎに積み重ねていかないと、退屈で死ぬ星のもとに生まれているのだから降参するしかない。
ちなみにセルフラブを続けるプラス田舎の自然の中で解放した感性のままで買い物をすると、本当に好きなものしか買いたくならないし、運命のものにしか出会わなくてマジで楽しいのでおすすめである。「ちゃんとした人に見られたい」という見栄えを気にして無印良品でしか服を買わなかったわたしはもうどこかへ行ったらしい。
たぶんしばらくは関東のどこかにいて田舎と都会のハイブリッド生活を楽しんでいる気がする。