クリスマスもまだなのに年の瀬について思ったこと
noteを更新するのがいやだなとずっと思っていたのには理由がある。
10月末にもこが老衰で亡くなり、3か月だけのわたしともこの二人暮らしは光の速さで幕を閉じた。
思えばもことの二人暮らしは、なんかいろんな意味で夢みたいだった。あっというまにおわりすぎたし、毎日こんなにしあわせで良いのかと思うくらい平和で穏やかで自分でもちょっとおかしいと思うくらい満ち足りていた。心の平穏って守るものとか、大切なものがあるだけでこんなに凪みたいに保たれて、毎日がちがってみえるもんなんだと思った。
大切なものを失うのが怖いから、大切なものを作らないことによってしあわせや平穏を保っていたと思い込んできたわたしにとって、大切なものがある日常は今の悲しさの何百倍もしあわせだった。
ここらへんから今までの荒波みたいな心境を文字にするのも心の整理がつかないし、プロフィール欄の
シニア犬のトイプー♂と一緒に住んでいます
という一文を今はまだ消したくなくて、noteを再稼働させて新しいことを綴りはじめたらプロフィールを書き直さなければならないのでそれが嫌だった。しかも書きたいこともなかった。メソメソした泣き言以外は。
そんなことはないとわかっているけど、わたしがプロフィールを書き直さないでいる間、このnoteの中ではまだ一緒にもこと二人で暮らしていられる日常が続くかもしれないのに。
だからわたしはまだプロフィールを書き直さないし、言いたいことだけ言って帰ろうと思う。
最近は商業施設が思いっきりフライングをかましている。
気が早いスーパーなんかだとクリスマスを飛び越えてもうお正月飾りやしめ縄が売っているし、年賀はがきも売っている。
忘年会の企画もいろんなところで始まっていて、みんな気が早いと思いつつも、来月はもう立派な年の瀬だからそうでもないのか、とぼんやり思う。
個人的に、忘年会ってその一年がどんな年だったか、何を考えて、誰と過ごしたのかをいちばん感じられる行事だと思っているのだが、なぜかというとしめくくりって、その年の中で自分が時間を割いた人やお世話になった人に会いたくなるからだ。お疲れさまでした、と、お世話になりました、を言って、また来年も会いたくなる人に。
もちろん、付き合いと形だけの行きたくもない忘年会に行く習慣は、わたしにはもうここ何年もない。
カレンダーアプリを見ていたら、ふと思うと2020年の転機を皮切りに、毎年ぜんぜん違うコミュニティの人たちと忘年会を過ごしていることに気づいて、やっぱりこの数年は特別にトチ狂ってたよな、と改めて思って笑ったので、それをどこかに書きたくなった。
学校の人、SNSで知り合った人、会社の人。
それはすなわち一年ごとに自分が大切だと思っている場所やコミュニティが入れ替わっていることを表していて、わたし自身の変化も表している。めまぐるしいとかの表現でも物足りなくて、台風どころか竜巻みたいな数年だったかもしれない。このジェットコースターのような数年を乗り切った(まだ終わってないけど)自分になんか拍手を送りたくなった。
引っ越して、転職して、人間関係がリセットして、また引っ越して、転職して、もこが来て、いなくなって、大事な人が亡くなったり、家族の赤ちゃんが生まれたりした。得ては失くし、得ては失くし、泣いたらいいのか、喜んだらいいのかわからないうちにまた場面が移り変わる、それの繰りかえし。
わたしは何回でもひとりになるし、また新たなコミュニティで新たな人たちに囲まれたりする。出会ってすぐにいなくなる人もいれば、昔からのSNSだけのかぼそい繋がりだけだと思っていた人とまた仲良くなったりもする。変わらないものなんてないし、変わらないでいようとすることは無理なのだ。そうやって生きていると、ひとりになるのも別れが来るのも、怖くなくなってくるんだよな、と思う。ただ変わらないのはわたしがわたしであることだ。
ひとつだけ確かなのは、人の縁ってほんとうに自分に合った場所に連れて行かれて、自然とつながったり離れたりするものだということだ。だから合わなくなってしまったものを引き止めたり、つなぎ止めたりする必要もない。必要ならまたつながるからだ。人間関係の変化が激しい時っていうのは、ものすごいスピードで自分が変化しているからで、あっというまに居心地の良い周波数が変わってしまう。
そんな奇跡みたいな確率と諸行無常の変化の中で、何年も、何十年も一緒にいてくれる人の存在がどれくらいありがたいものなのかはいうまでもない。目新しいものほど大切にして、慣れ親しんだものほど当たり前にしがちだけど、本当は目の前にいるいちばん身近な人から大事にしていたら絶対にまちがわないのだ。何回も何回も失ってやっと大切なものを大切にできるようになった気がする。
喪中や転職や引っ越しが重なっていたこともあって、去年、一昨年としみじみした忘年会にはしばらく行かなかったのだが、今年はまったくはじめてのコミュニティの忘年会に参加することになって、怖い半分わくわく半分の心境でいる。来年に繋げていきたい縁が広がっていきそうでなんだか楽しみだ。