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ハイヤーセルフに聞いた意外な使命と、役に立とうとしないこと。


誰かの役に立とうとする文章を書くのをやめました。


ずっともやもやしていた。


新しいことをしようと決めたはずなのに、なんか違和感がずっと消えなくて。

楽しくもなくて。

書いてる文章もぜんぜん好きじゃなくて。

思ってることをそのまま書けてるから、そこに別に違和感はないんだけど方向性が違和感だった。

わたし、救いが必要なだれかのために生きるのを、救うのをやめたんじゃなかったっけ?

もうそれおわったんだ、
自分の癒しのために誰かを救うことは、もう今の自分には必要なくなったんだって思ったんじゃなかったっけ。




自分の中ではとっくにおわっている話を掘り起こして、わざわざしんどい状態になってまで作った周波数の重たい昔話を、読む人にも「しんどかったんだなあ…」って思わせて、ずーん…ってさせることがわたしのやりたいことなんだろうか?

今現在を生きているわたしは、とっくの昔に重たい過去を乗り越えて、ただ今を楽しみたかったり、感動したことを共有したかったり、「見て見て!!聞いて聞いて!!」みたいな楽しい気持ちで文章を書きたいというのに。


しかもよくある寄り添い系の文章とか、チープにそこらじゅうに氾濫しているフレーズは、ぜんぜんこれ、刺さんねーんだろうなーって書いてる自分がいちばん思ってた。少しも自分自身に刺さらなかった。わたしなら一生連絡しないなって思った。


誰も望んでなくね?ってなった。


なによりもわたしがいちばん楽しくもなかったし、望んでもなかった。


なんでわざわざしんどい思いをして、楽しくないことを仕事にするのか。


どんなことを仕事にするにせよ、わたしは自分がしんどいのに、誰かの役に立とうなんて思ったことは一回もない。


楽しかったからしてたし好きだったからしてた。好きでやってることが勝手に誰かのためになってただけで、自分の時間や労力をそれなりに傾けなきゃならない仕事なんか、好きじゃないとできないことの最たるものやって思ってた。


週に5日も。8時間も。


長いよ、まじで。なめてんのかってくらい長い。


嫌いなことをしてる時の時計の針なんか、一生進まない。止まってんのかなってくらい。


それが週5で8時間も続くなんて、わたしには耐えられない。


そんだけのくそとんでもなく長い時間を、好きでもなくて、楽しくもないことにわざわざ費やせるほどわたしの人生は暇でもないし、安くもねーよって思ってた。


会社員という制限つきのはずの枠組みの中ですら、そこだけは譲らず自分がいちばん楽しい道を選んでこれたのに、なんでわざわざ新しい生き方を選ぶのに、型にはめた文章書いて、誰かの正解に合わせて、自分からつまんなくて不自由になりに行ってんの?って思った。


会社員の時だって「そんな甘くないよ」とか、「みんな生活のために働いてんだよ」とか、死ぬほど言われた。


でも、そんなこと言われても実際わたしはずっと楽しかったし、仕事だって好きだった。お金のために働いたことなんてなかった。誰かの言う「一般的な正解」なんて、一度だってわたしには当てはまらなくて、「別にそうとも限らないんじゃない?楽しくて好きな仕事を選んで、楽しくお金もらう方法だってあるんじゃん?現に今楽しいし」って思ってたし、ほかならない自分で証明してきたっていうのに。


今自分が楽しくないのに誰かの役に立とうとしてるならそれ、むしろ退化してるじゃんって思った。わたしは今どこへ向かってますかー?合ってますかー?って思ってた。

今思うと、そんなもやもやしてる時点で

「合ってないって、自分でわかってたじゃん」

って話なんですが。

だって「これでいい」って思ってるときって、ぜんぜん迷わないから。エネルギーの出方が違うし、自分の正解がわかってるから。

そうほんとここ、このエネルギー領域と感覚の域、HSPは得意だからね。自分がいちばん知っている。わかってるのにそれを採用しないでいるとき、ずっともやもやしている。

でもコーチングに60万も払ってしまったわたしは容易に引き返せなかったんです。



違和感ともやもやが取れなすぎて、「なんかズレてる気しかしない…」って思いすぎて、文章も嫌いになりそうになって、(しかもパソコンも壊れるし)いつも好きで見ているチャネリングヒーラーさんに新年早々セッションを申し込んだ。

「あなたは今、誰かの役に立ちたいわけじゃなくて、自分が楽しめていることがいちばん大事で、その楽しさを共有できる人とつながりたいのね」


って言われて、それ!!そのとおり!!となった。

人にはフェーズがあって


自分が楽しむ→他人に貢献する


の順番じゃないと、自分が満ちてないのに誰かのためになんてがんばれるわけがないから。って、

さんざん自分で言ったよな!!!

試験に出ますよ案件くらい大事なやつ!!

自分→相手




わたしはひたすらがんばってしんどかった第一章がおわって、今は自分を楽しませるフェーズに入ったとこだから、「今は貢献のフェーズじゃない。役に立とうとなんて思わないでとにかく好きなことだけして遊んでね。休憩!休憩!」と言われた。


なにがそんなにわたしを焦らせたかといえば、


「そうは言っても仕事やめて3か月も経ってるし、なんのご縁かふわふわの0歳の生き物は家に来たし、休んでる場合じゃ……」


というわけで、たいした情熱もエネルギーも乗ってないのにむりやり「なんかせないかん!!」ということになっていたわけです。


お金お金言っているわたしに、チャネラーさんはわたしのハイヤーセルフに聞いてくれた。


「あなたはお金には困らないからちょっとくらい休んでても大丈夫。しかも、その今までのクセで、ひとりで稼ごうとか、なんでもかんでもひとりでがんばろうとすることをやめなさい。


あなたの今世での課題は、パートナーシップです。


何かやるにしてもひとりじゃない方が向いている。パートナーも仲間もできる。それがもうすぐだからもうちょっとゆっくりしてなさい。ひとりで全部やろうとしない。」


パートナーシップ???



20代の時からずっと、マッチングアプリで軽く50人は会ったのにだれとも付き合わなかったのに?結婚相談所に2回も行ったのに?いやでもだからこそさすがにおかしいやろって思ってた。伝説の忍びくらいの精度で良縁見事に避けるやん。


モテないわけじゃないのにさ。(太字)


だからこそなのだと。ことごとくうまくいかないからこそ、それが課題なのだと。


おい課題難儀すぎかよ。

でも、そうなの。ホロスコープでもそうだし、なんのセッション受けても


「あなたは人の中にいないとダメ。ひとりでなにかやる人じゃない。」


って全員に言われるし。

ほんとそう。前の仕事も、いろんな人と関わる仕事だから楽しかったんだし。ひとりでパソコンに向かうの、まじでツマラナイ。黙々と資料づくりとか世界でいちばんツマラナイし、AIにまっさきに任せたいほどやりたくないし。


そしてわたしの使命も教えてもらった。

「あなたの使命は、女性の自立。
一人で決めて、一人で立てる人を増やすこと。
ずっとあなたが人生でしてきた得意なことです。」

って言われて、ぽかーんだった。


自分で決めるのなんて、当たり前じゃん。


「自分で決められない人も、自分で選べない人もたくさんいる。
誰かに選ばされたり、ずっと言うことを聞いてきていたり、他責思考だったり、被害者意識が強かったり。
あなたはずっと自分で選んできて、自分の力で自分を幸せにできて、納得のいく生き方ができている。
決められない、選べない人たちに、勇気を与える人なんです。
寄り添うのでも癒しでもない。元気と勇気です。」


って言われて、ええ?お、おお、そうなんだ…?ってなった。

いや、本当におそろしくピンとこなかったです。最初。

だって、自分で決めるとか、選ぶって普通にしすぎててね。でも、そんなの自分にとっては当たり前すぎて、みんなできてるんじゃないの?みたいなことが、使命になっているのだそう。

しかも癒しじゃないっていうのもわかるんですよね。

癒しってマイナスからゼロにするとこまでで、それをずっと福祉の仕事でやってきたので、ここからはゼロをプラスにすることがやることな気がするのです。

わたしは落ち込んでる人と一緒になって落ち込むのでも、救うのでもなく、自分が楽しく生きてるところを見て元気になって欲しい、もしくは分かち合いたい、なのかなってしっくりきました。

なによりそのほうが自分が楽しい。

しかもいちばんおもしろかったのが、

「わたしは役に立ってるから好かれたいわけじゃなくて、わたし自身を好きになって欲しいんです!」

って自分で言ってたこと。

「SNSって今全部ビジネス化していて、だれかの役に立たないと個人が発信もしちゃいけないのかみたいな風潮がまじで違和感で。」


「「芸能人でもないただの一般人が、今日ごはん何食べたとかどうでもいいこと載せるな」

みたいに言われるのまじで違和感なんですよ!そんなの、好きに載せさせろや!って。なにか与えるものがないと、役に立たないと存在しちゃいけないみたいじゃないですか?」


って言ったらチャネラーさんめっちゃ笑ってた。


ああーそれがやりたいのね。って。


だって、そうじゃないですか。

どんな人も何を思ってもいいし、何を伝えてもいいし、自分の世界を表現していい。

芸能人とか一般人とか関係ない。

なにができるかとか能力とか、ビジネスビジネスビジネスうるせーよ、役に立たなくたっていいんだよ!!存在そのものが尊いんだから!!


って自分が思っていることが、思いのほかな熱量で、ちょっとおもしろかったです。

だいたい、「役に立って感謝される」って、

わたしはもうずーっとやってきてる。

その嬉しさも、充実感も知っている。

もう十分やってきてるし、それだけで満足できるなら前の仕事、やめてないから。

それをやり尽くして、ちがうことがやりたかったから、今ここにいるわけなので。

それが「自分を楽しみたい」「楽しさを共有したい」だったら、すごくしっくりくるなあと思ったのです。


でも、しっくりこない文章を書き続けたことは良かったこともあって。


エネルギーの乗ってない文章と、乗ってる文章だとこんなに自分の状態も反応もちがうんだって思ったり、


インナーチャイルドをテーマにしたことで、ずっとこだわってきたけど、今まで出せなかった過去をもう外に出せるほど、「自分の中では案外もうおわってるんだな」ってわかったこと。


それを知識に変えて、だれかを救わなくても、わたしの中ではもう全部腑に落ちていて、完結してたってことがわかったからそれ以上なにもする必要がなかった。


だれかがうまくいったやり方は、ただそれだけのことで、同じようにそれをしたとしても自分がうまくいくわけじゃない。


自分の感覚を採用する方が、怖いけど100倍確かだし、大事なんだなーとわかった。(とくに、とくにエネルギー領域で良し悪しがわかってしまうHSPは)


なにかの知識を持っているどれだけスゴイ人だって、全知全能の神様じゃない。

他人が示す「正解」よりも、自分の中にある自分だけの正解を信じられるかどうか。

それが試された出来事だったと思うので、無駄だったとは思いません。


わたしはこれからも書きたいことを好きなように、自分の言葉で書こうと思ったし、文章は思ったよりも自分にとっては大切なものらしい。ハイヤーセルフさんのいうように少し休憩して、焦らず自分を甘やかしていこうと思います。


「よくがんばったね、おめでとう。」

「そのままでいいよ。」

「ゆるませてね。ゆるしてね。」


これがもらったメッセージで大号泣でした。


これでもだいぶここ1年くらいはゆるませたつもりなのに、やっぱりまだひとりでがんばるクセが抜けないなあ。

もうちょっとぼんやりして、もうちょっと犬とたわむれることにします。

アイコンもちょっとふざけたのに変えました。かわいい。

そして、やっぱり自分の言葉で話している時の文章のほうが100倍好きだなあ。


すきなチャネリングヒーラーさん
五十嵐叶さん⇩

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