「つるかめ助産院」と私の出産 2
前回、私が日本で 3人目の子供を自宅出産することを 決めたことまでを書きました。
地元のタウン誌の取材で知り合った、助産師の方に来てもらうことになったのです。
ところが、夫とのスケジュールが合わなくて、なんと出産日まで夫と彼女は会う機会を持てなかったのです。そのすれ違いにとても戸惑ったことを覚えています。
夫とふたりだけの出産
自宅出産は、生活の延長上に お産があることを思い出させてくれます。
夫と、上の子供が傍にいて、自分に居心地のいい日常がすぐそばにある......、あの何とも言えない柔らかい空気感、家のそこここに馴染んでいて、加減で見え隠れする光の粒、キッチンから聞こえてくる暮らしの音。
それまでの2度のお産で、新しい誕生を迎える前にも後にも、当たり前にある、日常の流れを感じることが 私はすごく好きなんだと知りました。子供を産む、という大きなことの中では、普段の小さな日常がこんなにも愛おしく、心に響くものなのか、と感じたのです。そしてお産にかかわる人たちとの信頼の絆と連帯感も、妊婦にとって安心して産める環境のひとつです。
それなのに、子供を取り上げてくれる助産師さんと、夫が一度も対面なしでその場を迎えるなんてことがあり得るのでしょうか?
そう、実際のところあり得なかったのです。
3人目、ということもあって、私のお産は予定日よりも早く、そして陣痛もあっという間に進み、助産師さんは私のお産に間に合うことができませんでした。私はお風呂に浸かって陣痛を逃しているうち、そのまま夫と二人でお風呂場で子供を産んだのでした。
「子供は一人で上手に肩を回転させながら生まれてきたよ、僕は手を広げて受け止めてあげるだけだった」
夫はそう話してくれました。
大切なのは、自分の体の声を聞くこと、自分を知ること、自分を愛すること
これは「つるかめ助産院」に出てくる助産師、つるかめ先生の言葉です。
私は、赤ちゃんを身ごもることで、自分の体をやっと知ることができたと思います。というより、自分の体の声に素直に耳を傾けることができるようになったということでしょうか。
子供を育んでくれる自分の体を大切にし、愛せるようになったのです。
友人の自宅出産を手伝ったときに、彼女から「助産師さんになればいいのに」と言われたことがあります。
でも、私は自分の体の声はわかって、それを信頼できても、他人の体のことは、わからないのです。助産師さんのように一人のお産をまるごと受け入れるなんて、私には怖くてできない、と思いました。それと同じように、いくら相手が助産師さんだとしても、私のお産をまるごとその人に預ける、という感覚も私にはありません。だって、私の体なのですから。
そして何が起こるかわからないのもお産です。けれど、それだってお産だけに限ったことではありません。私たちの人生、何が起こるか誰にもわからないのですから。
まさか私も、夫とふたりだけのお産になるとは思ってもみなかったのです。(でも実際には、それを望んでいたのですが)
病院に行って産む、自宅や助産院で産むと自身で決めたとしても、思い通りになるとは限りません。だから結果ではなく、大切なのは その途中のプロセスで、自分の体と向き合うこと、自分がどうしたいのか、自分を知ることなのだと思います。お産という状況は、女性が自分の野生に還るので 自分本来の声が聞きやすくなる大きなチャンスなのです。
お産と深く関われば、お産はその人自身の人生を変える、というのは言い過ぎではないでしょう。自分を知るというのは、自分を愛すること。自分を本当に愛し始めた人の人生は、それまでの人生とは全く違うものになっていくに決まっているのですから。
「つるかめ助産院」の主人公、マリリンのように。
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