サインー大切な人からのメッセージ#10祝福
山火事から、1年余りが過ぎた翌年の10月。
満月の翌日だった。
真珠色の月の光は、銀のさざ波のようにちかちかと私の身体を刺激して、まるで陣痛をいざなう導き手だった。
お腹の出っ張りぐあいを見れば、周りも私も「男の子」を確信するほどだったのに、月夜の蒼い世界に身をおいていると、生まれてくるのは女の子だと、ふいに予感した。
同意を求めるように、月を仰いだ。
フクロウが近くで鳴いている。秋風がそよいで一瞬、虫の声が止んだ。
目を閉じているのか、そうでないのかわからなくなるくらいに、月の白さが私に入り込み、私が月を包み、月が私を包む。
私はあるアメリカ先住民の詩を思い出し、そして、その詩、そのものになった。
切り株に腰かけた腰のあたりが、ひざ掛けを何重にも巻いているとはいえ、冷えて疼く。本格的に陣痛がやってきたことを知って、私は立ち上がり、もうひとたび月を仰いで小屋へ入った。
イーストの発酵する柔らかな香りが部屋に充満している。さっきまでの緩やかな陣痛の波にあわせて私がこねたパン生地を、夫が鉄鍋ごと、薪ストーブに入れて焼くところだった。
私の痛みで歪んだ顔を認めると彼は、
「おっ、いよいよかな」と、楽し気に言う。
遠足を前にした、子供のような表情だ。
このお山に来て、1年が過ぎたとき、私たち家族は、夫の仕事で半年余りを日本で過ごした。そのあいだに私の妊娠が分かった。
日本から戻ったときに、夫はこの小さな山小屋に、お産用の部屋を建て増しした。窓からは星が見え、夜にランプを灯せばそこに柔らかな空間が浮かびあがる。ここでお産をするのが楽しみだった。
外にトイレに出たのをきっかけに、陣痛は一気に頂点へ達するほどだった。受けるエネルギーをどこへ流せばいいのかわからなくて、ドラム缶風呂の脇で、しゃがんだまま、動けなくなっていた。
けれど、私は急に立ち上がり、いきなり洗い場に敷いてある若木の一本を持ち上げてそばにいた夫をびっくりさせた。
呼吸へ全神経を集中させて痛みを逃すようにしても、陣痛は私にはいつも辛い。
「こんなに痛かったっけ?」
4度目の出産でも、私は毎回 夫にそう問うほどいつも、この痛みに目を見張る。
この痛みの先には、喜びがある。我が子に会えるのだ。
でも、本当に、痛みを通してでしか、喜びには出会えないのだろうか?
痛みと一体になってしまわないように、私は呼吸に集中する。痛みは、私ではないのだと、言い聞かせる。痛みは身体からのサインだ。痛みによって、私はお産のプロセスと、タイミングを知ることができるのだから。
私の選択は、痛みを排除するのではなく、受け入れることしかないと、最終的には気づく。そうでしか、痛みとの和解はないのだし、それに、自分に抱えきれない痛みなど、決してやって来はしないと、どこかで読んだことがある。そしてそれは、とてもいい言葉だと思った。身体だけでなく、心の痛みに対しても。
私は夫に支えられて小屋に戻り、時間をかけてやっとのことでベッドまで辿りついた。
すぐに羊膜が破れて破水し、間もなく子供は生まれた。
「女の子だよ」
夫は言い、私は夫の両手にのった、小さな赤子を腕にそっと抱き取った。
彼女のまだ眠るような顔が、オレンジ色のランプの灯に静かに照らされる。
小さな産声を2度、3度あげただけなのに、ロフトで眠っていた長女が がばっと、起きてきた。
「生まれたね!」
まるで一部始終を見ていたかのような、言い方だ。
それにつられて息子までが目を覚まし、今しがた誕生したばかりの赤ちゃんを目にする。
子供たちの星よりも輝く瞳に見守られて、私は赤ちゃんに乳を含ませた。
すっかり目を覚ました子供たちは、まだ午前1時だというのに、カーテン一枚を隔てたキッチンで、夫に切り分けてもらった焼きたてのパンをほうばっている。
バターナイフが皿に触れる音、話し声、遠慮がちなさざめき、笑い声。それらの日常のたてる音が私には心地いい。
新しい命を、大好きなこのお山で迎えることができた。
当時は叶えられなかったけれど、次女を身ごもっていたとき、私はこの山で出産したい、と願ったことがあったことを思い出した。
すぐそばで、大きな羽をもった天使が、子供を見守っていてくれる気がして、私は安心し、安らいでいた。祝福が星のように降り注いでいた。
夫がカーテンを開いて部屋に入ってきた。
まだ後産を終えていないのだ。
彼は言う。
外に出て、月にお礼を言った途端、流れ星がそのそばを流れたことを。
私は胸の中にその流れ星を吸い込んで、彼にお礼を言った。
メッセージを見落とすことのなかったことに。
それに気づいてくれたことに・・・。
(つづきます)