私たちがフォーカスするものに、私たちはなるのだから。
北カリフォルニア、私の住む地域はおよそ半年ぶりの本格的な雨。
雨音がなつかしくて 夕べは一晩中、浅い眠りの中でそれを子守歌のように聞いていた。
きっとあの湖も、この雨でどんどん水位を上げているだろうか?
たった1日の土砂降りで、そんなことは不可能なはずなのに、それを子供のように 文字通り、夢見ていた。
うちから車で5分の場所にある、大きな湖のほとりを毎朝散歩していたのを、深刻な水不足が始まってしばらくしてから、やめた。
どうしても毎朝、湖の水位が気になって、肌色の砂地が、あそこでも、ここでも広がっていくのに気が取られていくのが 嫌になったからだった。
湖の歩道は丘の上まで繋がっていて、途中には木々が多く茂っている。果てしなく広がる空には野鳥が飛び交い、カモのファミリーが湖面を泳いでいる。早朝には朝日が、湖の向こうの山の稜線からゆっくりと昇り、輝きを放つ。
そんな息をのむような光景が、あちこちで光っているのに、どうしたことか私は水のことばかりが気になっていた。
2年前に撮った湖の写真と、明らかに別の風景となってしまった現在の写真とを並べて、ポスターを作った。「SAVE WATER」と書いて、レストランのキッチンやスタッフ専用のトイレに張った。ことの深刻さを伝えたかった。
けれど、水不足という「欠けた」概念がいつまでも自分の中に居座っていることは、私には、どうにも健康的ではなかったようだ。いつか私は、自分自身があの湖のように枯渇していくのを 見守っていたのだ。
毎朝、そこを訪れるたび、さんさんと輝く陽光の下、失われていく水を確認していくうちに。
いつの間にか湖から足が遠のいていたのが、答えだった。
店のポスターもはがした。
そのかわりに、自分の心の中に、豊かな水を溢れさせた。
美しいどこかの湖の写真をスマホでたくさん見つけた。休みには太平洋の海岸で過ごした。シャワーに入れることの、洗濯物のできることの、お茶碗を洗えることの、豊かさを味わった。
スタッフには、置かれた状況がどうであれ、日頃から水の使い方に気をつけるようにと 私たちのスタンダードを上げた。
夕べから雨が降りつづいている。
しみじみと、世の中には自分にコントロールできるものと、できないものがあると感じる。
まわりの状況がどうであっても、自分の思考や人生への姿勢は、自分の意思で、豊かさにも、欠けたものにもフォーカスすることができる。
気をつけてみて。
私たちがフォーカスするものに、私たちはなるのだから。
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