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「やったことある」しかできない思考を疑ってみる

こんにちは。今日は「未知」と「苦手」について。


未知の領域への挑戦

私は基本的にやり方を知らない・未知のタスクをこなすことはできないと思っていました。

これまでやってきたことの応用であればある程度動けるのですが、「大工仕事をして家を建てろ」と突然言われたとき、私が対応できることは皆無と言えるでしょう。

このように、自分の専門外の「未知」なことは多くの人が二の足を踏むと私は考えています。

ところで、未知・既知の話を論じる前に、ここに一本軸を書き足す必要がありそうです。

それは、得意・苦手の軸です。

得意・苦手と未知・既知の混同

得意・苦手の軸を組み合わせることで色々と見えてくるものが変わってきます。

まず未知だけど得意(そう)なことについては私はある程度できるかな、と思います。パソコンを利用して簡単なチラシを作る、といったことはこれです。

これは既知だし得意、でもあまり変わりません。文章を頭からひねり出すこと自体は一応既知の領域ですし、私の得意とするところです。

よくよく考えれば、昔ユングの本を読んだときも「未知の分厚い本」を気合と読解力で読破した覚えがありますし、もしかしたら未知は回避する対象ではないのかも知れません。

対して、既知で苦手、未知で苦手(そう)なことについて私がどう動くかと言うと、回避するか、サポートをもらう、あたりが有り得そうです。

つまるところ、私は「未知」ではなく、むしろ「苦手(そう)なこと」を回避する傾向にある、ということになります。

言い換えれば、既知未知問わず「苦手」を「未知」に押し付けていた、ただの思いこみだったと言ってもいいでしょう。

未知と苦手は可能性

さて、ここでもう一歩思考を進めると、「未知・得意」は実行することによって「既知・得意」に落とし込むことができます。

では、「既知・苦手」「未知・苦手」はどうかというと、これまた苦手を克服することで「既知・得意」に変化させることができます。

もちろん、苦手を苦手のままにしておくのも戦術の一つです。どんなにリソースを突っ込んでも苦手が苦手のままなのであれば、その分野を人任せにすることもできます。

ただし、未知に苦手を押し付けている自分としては、「その活動全体が本当に苦手なのか」は吟味する必要があります。

「人と話すのが苦手」は本当だろうか。初対面の人限定ではないか、更にその中でも相手が話下手で怖そうな場合に絞れるのではないか。

苦手と向き合うというのは、このように自分の苦手を追求していくこと、なのかもしれませんね。

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