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人生、いつミスをしても構わない(というか「ミスしなければならない」)

こんにちは。今回は「ミス」について。

間違いは「しない」べきか

「間違いが許されるのは何歳までだろう」と昔は思っていました。

私が子供のうちは選べることが狭く、その範囲内でリスクの少ない選択をしていたように思います。ついでに、テストで100点を取ることにだいぶこだわりがあったことも記憶しています。

しかし、大人になると選べる制限範囲が撤廃され、何をしても良いが自己責任ね、という世界になります。選択肢のリスクも上から下まで様々なものが出てきます。

これらのことから、私は「大人になったらミスは許されない」と思っていたのかもしれません。が、大人にになってから初めて選べる選択肢があるのにミスが許されない、というのも少し違うかな、と今は考えています。

無論、自分で受け入れられないリスクは取るべきではありません。ただし、ミスしても問題ないこと、自分で受け入れられるリスクが有ることを度外視するべきでもありません。

決定的なミスと致命的なミスは違う

例えば、書類の内容を間違えて上司がそれに気づいたとします。

上司から何やってるんだ、と怒られますが、これは決定的なミスであっても致命的なミスではありません。

では、顧客が直接利用するデータの桁を一つ間違えたとします。10万円のパソコンを1万円で売る、と表示したようなものです。

会社は大損害を被り、自分は退職の憂き目に合うかもしれませんが、これまた「人によっては」致命的ではないかもしれません。

最後に、用法用量を守らないといけない薬を一気に20錠くらい飲んだとします。当然そんなことをすれば生命に危険が及びます。さすがにこれは致命的なミスと言えるでしょう。

ここまでで何が言いたいかというと、決定的ミスは明確な学びにつながるということです。

先の二つの「決定的なミス」を通して、今後は書類のダブルチェックをしようとか、データ修正のときには桁に気をつけようと思わない人はいないでしょう。

もっと言えば、致命的でない決定的なミスは、すればするほど学びにつながると捉えることも出来ます。

もちろん、ミスを繰り返すことによる周囲からの信頼の喪失が致命的ミスとなるケースもあるので、いたずらにミスりまくれとはいえませんが。

あいまいなミスの価値

ここでなぜ「決定的」という言葉を使ったのかを説明するために一つ例を出します。

ある会社の株を買いたいとき、散々調べている間に値動きが生じ、売買タイミングを逸したとします。

これに対して「即決即断で株を買っておけばよかった」という考察を得ることはできないと思います。「散々調べる」くらい、その行動の価値とリスクは変動するものだからです。

さらにこの事例は「調べている間にチャンスを逃した」状況なので、具体的な決断に至っていません。この決断しないことで生じるミスを「あいまいなミス」と呼ぶことにします。

一方、実際にその株を買って株価が急降下したら「あんな株買わなければよかった」と強く思うのではないでしょうか。こちらは決定的なミスとして頭に記録されることでしょう。

何が言いたいかというと、あいまいなミスと判定されたミスは損するリスクが生じない代わりに、決定的なミスほどの学びにはならないという話です。

そして決定的だろうが致命的だろうがあいまいだろうが、同様に自分の時間は消費されていきますから、あいまいなミスで収めようとする人と決定的なミスを許容する人では、学びの量に大きな差が出てくると考えられます。

リスクへの耐久度

あいまいなミスと決定的なミスではミスが起きたときのインパクトに大きな差が出ます。私は自分を「あいまい志向型」と思っていて、決定的なミスは回避しようとしてきました。

ですがそれ故に大きなミスが起こった時、体調やメンタルに甚大な影響が出る・ミスの影響を長い期間引きずってしまうというリスクを背負ってしまいました。

つまり、これまでの人生で決定的なミスを通して自分を鍛える機会を逸してきたと言えるわけです。

そして決定的なミスにはリスクが高いものも低いものもありますから、リスクの低い、かつ決定的なミスを今からでもやっていく必要があると思っています。

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