虚無感の前にあるもの
こんにちは。今日は「虚無感」について。
こんな後悔は普通と違う?
皆さんは時間を忘れて趣味に没頭していて、気がついたら一日が終わっていたと言うことはないでしょうか。
もしそのあとに「なんでこんなに時間を使ってしまったんだろう」といった後悔・虚無感などがあるとしたら、それは普通の後悔・虚無感とはまた違った性質があるかも知れません。
もちろんその活動が原因で仕事に支障が出る、体力が減退しているなどがあるのは問題ですが、それは「時間・体力を使ってしまったこと」が原因であって、「しなければよかった」「無駄だった」といった後悔・虚無感との関係性はそこまで強くありません。
では、没頭した後の後悔・虚無感とはどのようなものなのでしょうか。
高揚しっぱなしができない以上、後悔は必然である
私はこの集中して活動した後の後悔・虚無感は「集中状態との落差」によって生じるものではないかと思いました。
集中状態では脳がフル回転していますし、物事が進む、難易度の高いことへの挑戦などでかなりの快楽を得ているかと思います。この後通常状態に戻って、活動前と同じ感覚でいることはおそらくできないと思います。
つまり、快楽を得ている状態と通常状態では感覚に落差があるということです。これを忘れて「集中状態から快楽が減ったから後悔する」というのはいささか道理に反していると言わざるを得ません。
つまり、後悔や虚無感はその直前の行動でそれだけ快楽・充実感を得ていたという証拠になるのです。
後悔・虚無感のレッテルを剥がす
上記の認識をすることで、これらの充実した活動後の後悔・虚無感との付き合い方が変わってくるのではないでしょうか。
充実した活動をいたずらなマイナス感情で汚すべきではありません。むしろ後悔・虚無感を感じたこと、その回数を、それまで充実していた指標として使うことができると考えれば、マイナスをプラスに変換することができます。
この考え方で、私は自分に少し余力ができました。皆さんも試してみてはいかがでしょうか。