「初歩的なこと」全部わかってますか?
こんにちは。今回は「初歩的」について。
専門性のない人の発信の意義
このnoteも気がつけば80連続更新を超え、裏で目標にしていた100記事連続更新まで後わずかとなりましたが、そもそもここで扱っている内容に不満を持っている人もいるのかな、と思い始めました。
文章力についてはまぁ自然の成長に任せて目をつむってもらうとして、内容が初歩的とかは言われるかもなあ、と思いつつ日々書いています。
内省をアウトプットしよう、頑張る目標、継続して頑張っている状態を作ろうなどはぶっちゃけ他の自己啓発書、特にその分野を専門的に扱う本を見た方がいい内容でもあります。
ですがこれらの「初歩的」な内容でも、何十記事も読んでいれば何記事かは刺さる内容があるはずです。それこそが無数の読者に対して一般人が自己啓発系のnoteを書く意義だと私は考えています。
初歩的な内容と思っていても実は
もちろん筆者の自己満足・自己実現としてのアウトプットが最大の効果だとは思うのですが、それ以外に見ている人に対する意義も存在する、というのが私の立場です。
なぜなら、世の中に数多存在する「初歩的」のすべてを網羅している人間などいるはずがないからです。
例えば裁縫。私は手先が不器用ということもありこれが絶望的に苦手です。もしかしたらミシンの準備といった「初歩的」なことですら実行できないかもしれません。
もっと言えば生まれた年代。今は初歩的と言われる分野のパソコンの扱いも、数十年前ではプロの仕事だったかも知れません。また、江戸時代にできていた初歩的な仕事ができない人も今は大勢いるはずです。
上記より、誰かが「初歩的」と思っていることはそれに触れていない人間にとってはひとつの「スキル」として映るのです。現代で大勢の人が読んでいるからといって、自己啓発をその例外とすることはできません。
一般人の意義は興味を持たせること
世の中には実に多くの情報、本が溢れています。その検索するのも億劫になる物量の中で「興味を持ってもらう」ことが一般人の発信の意義ではないかと私は考えます。
世の中にはこういう考え方もある、という発見・発信はもちろんプロの研究者が行う方がいいですが、プロの内容は理解出来なさそうだ、と思って忌避する人もいるはずです。
その中でいわば「劣化」させた知識がそのプロの発信に挑戦するきっかけになるかもしれない。それが一般人が何かを書く意義なのだと思います。
初歩的な内容の切り口とアクセス
知識の「劣化」のさせかたは人それぞれです。多角的に攻める人もいれば、一点集中で自分の中で深く内省するひともいるでしょう。
共通しているのは、アウトプットにはその人の色が現れること。そしてその色に惹かれて読み始める人が一定数存在するということです。
これは知識の切り取り方、切り口の出し方という論点です。個性的な切り口であれば内容がどうあれ楽しんで読み切ってもらえる可能性が上がります。それが自分の専門外の領域であれば更にその可能性が上がるでしょう。
初歩的な内容と思っていることでも、個人の価値観と組み合わさることで面白くなる。その面白さこそ、一般人の腕の見せ所ではないでしょうか。