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今日の買物#3 最後の買物なるかもしれない

先日、友人がクルマを買いました。
高校時代から、かれこれ40年超の長い間付き合いのある友人が、クルマを買いました。

「最後の買物になるかもしれないな」

友人が私に言った言葉です。

「最後って、何だ?」

友人曰く、

「前のクルマも長いこと乗ったし、この新しいクルマも長く乗ることを考えれば、クルマの買物はこれが最後かもしれないってことさ」

どうも免許返納はまだ先だけど、いずれその時が来る。そのときにこの新しく買ったクルマに乗っているような気がするということらしいです。買物直後の高揚感の中に、ちょっと寂しい気持ちが混じっているようだでした。

クルマの買物は特別だった
社会人になって給料が貰える身になったら、絶対クルマを買う。80年代に社会人になった友人の多くはみんなそう思っていました。クルマは高額です。高額だけど、自分の手に入れば、世界が広がる。そんなふうに思っていたのです。何の世界が広がるのか漠然としていたけれどそんなふうに思っていたのです。社会人になって、世間的には立派な大人であるけれど、心の中にいる「小さな男の子という自分」がそう思わせていたのかもしれません。クルマは高額な素晴らしいおもちゃだったのです。男の子のおもちゃの買物だから特別なのです。

買物するときに現れる子供の頃の自分
何か欲しいモノがあるとき、前から狙ったモノがあるとき、そしてそれを買う時、子供の頃の自分が現れるような気がします。子供のころ欲しかった戦車のプラモデルを買う時と、社会人になってクルマを買う時の気持ちの動きは、ほぼ一緒です。40~50年経っていても、何故か変わらないのです。これも買物の不思議のひとつかもしれません。

以前、フェラーリ・テスタロッサのミニカーをネットで買ったことがあります。以前といっても子供の頃のことではありません。50代を越えたもう十分に大人の時分です。テスタロッサはずっと欲しいクルマでした。でも現実を考えると買えないクルマです。お金の面でもそうだけど、家族が運転できないとか、そもそもマンションの駐車場に入らないとかという現実のいろいろがあります。ミニカーで我慢するか!ということでもないけれど、ネットでテスタロッサを見つけたときは心が躍りました。そして、弾む気持ちでそのまま買ってしまいました。まあ衝動買いということですが、ホンモノじゃないけれど、買物は楽しかったのです。そして、気持ちの中で、「テスタロッサを買った」という踏ん切りがついたような気もしました。


フロントビューもかっこいい


リアビューも、特徴的でかっこいい

クルマではなく、〇〇を買っているのかもしれない
これが最後の買物かもしれないと言った友人も、テスタロッサのミニカーを買った自分も実はクルマを買っているけれど、同時に何かを得たいのしれないものを買っているのかもしれないと思います。それは何だろう?説明がつかないけど、買ったことで気持ちがすっきりするというか、落ち着いたものになるというか、区切りがつくというか、そんなことです。買物することで、気持ちが変わる。買物という行為はそんな力を持っているのだと改めて深く感じ入りました。

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